記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

放送大学博士後期課程と学位取得9

放送大学博士課程に進学して初めてのゼミが,2015年の4~6月に放送大学本部のゼミ室(修士課程でも利用していた)で行われることになった.ゼミ室に入るのは3-4年ぶりだ.すでに2名の学生がいたが,見覚えのある人物が1人いた.修士課程で同期だった元文部科学省官僚のMさんである.その隣にも元官僚のSさんがいたが,この方とは初対面であった.僕がゼミ室に入ってMさんと目を合わすと,Mさんは一瞬驚いた様子を見せた.まさか現職の小学校教員が2期生として,再び同じゼミ生としてやって来るとは予想しなかったのだろう.文部科学省官僚と現職の教員の組み合わせも面白いものである.その日は,MさんとSさんの研究の進捗状況を紹介してもらい,2期生として次回の報告書をどのように作成すればよいかについて指導を受けた.Mさんの研究については,修士課程のゼミでもお話を伺っていたので,ある程度は理解できたが,Sさんのそれは初めて聞く内容だったのでよく理解できなかったことを覚えている.

このとき同席された指導の先生方は副査の先生がたもいらっしゃったように記憶している.また,人間科学プログラムの1期生と2期生は,全部で4名ほどであったようだ.

 

~ひと休み~

コロナウィルスの蔓延で何でもかんでも自粛されています.僕が楽しみにしていた宝塚歌劇団の公演も,6月末(4月9日現在)まで全公演が中止となりました.緊急事態宣言も出て,様々な職種に大きな影響が出ています.

教育関係では,地元の佐賀大学は前期の授業全てをオンライン授業で行うことになったと聞きます.そこで学長要請があり,大学の教員の皆さんは,オンライン授業用のコンテンツを早急に作成することになりました.娘の大学である同志社大学も,春学期の授業を全てオンライン授業で行うことになりました.緊急事態宣言によると教育関係では,塾や大学の閉鎖も要請されています.しかし小中高の学校は,その要請の中に入っていませんでした.

僕は現在,小学校に勤務していますが,完全に無法地帯と化しています.密閉・密集・密接の要素は,ある程度自身の行動を律することができる大人は理解できますが,特に小学生には全く意味を持ちません.休み時間には元気に密集状態の中,密接状況の中で遊んでいますし,マスクを外している児童も多く見受けられます.政府の緊急事態宣言をどのように説明すればいいのか,宣言を出す人が範を示してほしかったものです.

3月の大事な時期に小中高を休校にして,大切な思い出を作る間もなく卒業していった児童・生徒のことを思うと残念でなりません.一方,コロナ渦の状況は今が切迫しています.そのような状況下で,小中高は今までと変わらない風景に戻っています.いっそのこと,半年学校を閉鎖して,9月新学期という大英断はなかったのかということすら言い出す教員もいます.政府には,しっかりしてもらいたいものです.小中高で児童や教員が感染したらどう対応するのでしょうか.

放送大学博士後期課程と学位取得8

この記事は2014-15年の記憶を再生しながら書いているが,流石に5-6年も前のことになると記憶の中身がはっきりとしない部分がある.ただ,心象の変化があった場合は,その時の映像が浮かび文章化することができる場合がある.できるだけ正確に書いていこう.

今回ちょっとした訂正がある.以前,放送大学の博士後期課程の主研究指導教員は,放送大学の方で決められるようなことを書いたが,実は,出願書類の中に自分の研究計画を指導してほしい放送大学の教員を書いていたのだ.それには,教員名とその理由を書かなければならなかった.また,放送大学をどうして志望したのかも書く必要があった.僕は,修士課程で指導を受けた先生を主研究指導教員として指名していた.ただし,出願にあたって,事前に目的の先生とやり取りすることは許されていなかったことも思い出した.

オリエンテーションが終了してから,主担当の先生と研究内容について話し合いを行った後のことについては,記憶があやふやである.

放送大学本部には,修士課程の人間発達科学プログラムで使っていたゼミ室があり,博士後期課程の初めてのオリエンテーションは,この部屋で行われた.その日程が,オリエンテーションの後だったのか,別の日程だったのかは記憶にない.

博士後期課程入学後の初めてのゼミは,おそらくオリエンテーションとは別の日程で,4月~6月であったかもしれない.

放送大学博士後期課程と学位取得7

格通知と添付されていた文書を読んで博士後期課程でも単位を取らなければならないことを知った.取得すべき単位数は18単位で,その内訳はプログラムでも異なるが,人間科学プログラムでは次のような科目であった.

①人間科学特定研究(研究指導)・・・・所謂,博士論文の作成で1年次から全ての学期で行われる.(12単位)

②人間科学特論・・・・2015年前期 (2単位)

③教育学研究法(2)「教育社会学研究法」・・・・2015年後期 (2単位)

④数理・情報研究法(4)「知識情報処理研究法」・・・・2016年後期 (2単位)

3年次は当然ながら博士論文の作成が本格化する.

2015年4月の第1土曜日に,博士後期課程合格者のオリエンテーションが幕張本部で開催された.広い部屋の奥に二列で指導担当の先生方が座られていた.学生は12名程度だったと記憶するが,学生が座る机の列は,先生方の机に対して垂直方向に3列並んでいた.自分は真ん中の列で先生方の机に最も近い最前列に座った.ちょうど目の前に,修士の指導教官で,面接試験で質問をされた恩師が座られていた.

放送大学の博士後期課程は,一般的な大学の博士後期課程のように指導教官は初めから決まっていない.このオリエンテーションによって一方的に放送大学によって指導教官3名が発表される.その結果自分の指導教官は,予想通りに修士課程で指導いただいた先生が再び主研究指導教員になられた.その他に2名の先生が副研究指導教員として紹介された.

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得6

一次試験合格の経験は,相当なテンションアップにつながることになる.このチャンスを逃したら・・・と思うことによって自分自身を高揚させていった.次は面接試験であり,約20名程度の一次試験合格者がいると思えば,2倍の倍率を是非とも突破する!と活を入れた.今となっては、2次試験の日時を覚えていないが、2014年12月か2015年1月であったろう.千葉県幕張の放送大学本部へ赴き,会場への張り紙を見て2階の控室に入る.時間差で面接が行われていたため,自分も含めて3名しかいなかった.ほどなくして,その1名が試験の行われている部屋へと消えた.

面接試験は,研究計画についての質問であるために,大学に提出した内容を確認した.しばらくして,係の人から試験会場に行くように促されて部屋に入った.緊張していたが試験官の中心に座っておられる人物を見てホッとした.大学院の修士時代に指導を受けた先生だったからである.面接が始まり発言したのはその先生であった.

修士時代の恩師ではあるが,赤の他人のように淡々と質問をされたので妙に納得して,こちらも淡々と答えた.先生とのやり取りのなかで覚えているのが,「修士論文は全部忘れなさい」と言われたことである.「これまでの研究を一度リセットし,再度見直してみよ」というのであったろう.そのうえで,もし博士論文を書き上げたらどうするかと問われたので,「自分は辻説法のように,現場の先生方に成果を伝えたい」と答えた.すると,「その時は,ドーンと成果を伝えるべきであろう」とおっしゃった.面接試験の大半は,研究計画の実現可能性と研究の現状確認であったと記憶している.

面接で約半数の受験者が不合格となる.後期課程に入学して博士論文が書けるかどうかを見られていたと思う.ここまで来たが,合格する自信などなかった.

ところが,1月か2月に届いた分厚い封筒に合格通知が入っていた.2期生として2015年4月からの入学が認められた.倍率約10倍,小学校教員としては上出来であった.

放送大学博士後期課程と学位取得5

結局,第一回の受験での合格者は12名であったと聞いた.それにしても,倍率は10倍以上の狭き門.

この素晴らしき能力を持った人たちは,10月から始まる博士後期課程の学生となった.いったい,どんな人たちが合格したのか.おそらく,大学の教員で博士の学位を取得しようとする人たちであろうと勝手に思い,羨ましがった.

この頃,自分は初任研指導担当という役目で,4名の新規採用教職員の指導を行っていた.毎日,新採の授業を参観し,アドバイスを与えたり,授業をして見せたりしながら勤務していた.

丁度,2学期の指導が本格化した頃,2015年度放送大学大学院博士後期課程入学生の募集があり,再び受験した.今度の会場は,地元佐賀学習センター,通称アバンセである.慣れた環境であり,修士課程と同日に試験があったように記憶している.佐賀では,博士の受験者は自分ひとりだった.

試験内容は,第一回と同じで,英語の長文読解等と論文である.今回の長文読解は,哲学の内容であったと記憶する.長文読解は,それぞれの言語の意味をつなげるだけではだめで,そこに自身の経験や知識などの概念を参照しながら解答する必要がある.そして,一通り時間いっぱい使って受験が終了した.

合格発表は,12月の初めだったと思う.大きな緑色の封筒が届き,その中に一枚の1次試験合格通知が入っていた.

放送大学博士後期課程と学位取得4

「学習を経て児童・生徒が何をどう理解したか」・・・・・・

このことに関しては,恐らく誰も明確な答えは出せないだろう.

自分ですら学習モジュールが終了した時点での自身の理解について,明確な答えを見出すことは不可能である.児童・生徒ならばなおのことである.

2014年の初夏のある日,新設された放送大学大学院博士後期課程を受検した.場所は,福岡県の学習センターである.小学校の教室を一回り小さくしたような講義室で試験は始まった.最初は,英語の長文読解,次に研究内容に関する論述試験であったように記憶する.受験者は,いずれも大学の教員のような感じの人たちで,全体で10数名であった.長文読解の試験が始まって,30分程して一人のいかにもできそうな男性がさっさと教室から出て行った.「さすがに,博士後期課程の試験.できる人物ばかりか.」と思わずにはいられなかった.問題文は,海外の書籍から出題されたとみられる料理のレシピに関する内容だった.一通り解答し,次の論述問題も精一杯頑張って書き込んだ.

数週間で結果が届いた・・・・,不合格・・・・.

さすがに博士後期課程の受験は荷が重いと感じ,受験倍率を見て納得する.合格枠10名に対して,全国から120名程度の受験生が競い合っていた.聞くと,20名程度の1次合格者から面接で10名に絞るという.

小学校の教員が受験できるようなレベルではないと悟った.

 

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得3

現場の教員が最も知りたいことは,自身の教えが確実に児童・生徒に伝わっているかどうかであろう.「そんなこと,どうでもいい.」なんて思う教員は,まずいない.授業後には,教えたことがちゃんと伝わっているかと気になる.

最近の授業では,教師の直接的なinstructionというよりも,児童・生徒同士のlearningを演出する方がより実際的と考えられているが,それらについても教員の教えはあることに変わりなく,教員が計画して用意した教えを宝探しのように児童・生徒が自ら掘り当てて獲得するようにプロデュースすることもある.そして,いつの時代も教員は自身の計画が完遂されたかが気になる.だからこそ,単元の学習の最後に実施される評価テストの結果を随分気にするものである.

評価テストは,小学校にあっては教材販売業者が作成したテストを便宜上利用している.本来は,中学校教員のように,自身の教えが生徒にどのように理解されたかということを,自身が作成した評価テストによって判断するのがよいのかもしれない.なぜならば,自身が何をどのように指導したかを完全にトレースできるのは,自作の評価テストしかありえないからである.小学校の教員は,自身が選んだ教材販売業者が作成した評価テストを実施し,その結果に一喜一憂する.

しかし,よく考えてほしい.その評価テストで果たして自身が指導した多くの学習内容の理解がどれだけ測れたかを.

放送大学博士後期課程と学位取得 その2

放送大学修士課程に進学するきっかけを作ったある出来事がある.年齢は50歳を迎える直前で,担任を外れて級外として算数のTT(ティーム・ティーチング)要員をしていた時の話である.算数の少人数TTの時間に,よくできる児童たちに,私立中学校の入試問題を与えた.私立中学の入試問題なので,教科書に載っているような基本的な内容ではなく,地方の公立小学校の児童にとってはかなり難しいものであった.児童の思考がぴたりと止まってしまったので,理解した題意をもとに絵にするように指示したところ,それすら誰もできなかったことで,児童の理解とはどのようなものなのかということを知りたくなった.これがきっかけである.

別の日,授業に向かうために階段を登りながら,どのような手立てを使えば児童の事柄に対する理解について知ることができるかを考えた.その結果,言語(言葉)の概念を絵と別の言語で説明させると良いのではないかと考えて,理科の教科書に載っている言語を板書し,その概念を絵と言語で書かせた.すると,よく捉えられている言語と,ほとんどの児童が全く理解していない言語があることに気づいた.時間はかかるが,事前に調査すると児童らが理解している様子が分かり,自分の授業で発する言語に修正を施すことができた.

この経験が放送大学進学の原動力となり,英語の長文読解は別として,入試時に提出する研究計画の内容に生かされ,「小学校における学習要素のイメージ化と学習効果に関する研究」という題目で修士論文を書き上げることができた.(続く)

放送大学博士後期課程と学位取得

僕が,放送大学博士後期課程を修了して1年と4か月が過ぎた.

その間,勤務していた学校では4名の新規採用教職員を指導し,その後,30数年の小学校教諭としての仕事を退職して,再び今,別の小学校の理科専科講師として勤務している.まさに,時の経つのは早いものである.

僕は,かつて放送大学修士課程に在籍していた.そのとき書いた修士論文は,Open Forum(放送大学大学院教育研究成果報告)第9号の人間発達プログラム枠の巻頭に掲載されている.修士論文口頭試問では,他の院生の発表を聴いていたが,他人の発表はよく聴こえるもので,自分の発表は緊張の連続でよく覚えていない.それでも,冊子に掲載されたということは,内容的にはよかったらしいと当時は納得していた.

以下は,掲載された修士論文のダイジェスト版である.今考えると,この論文が博士後期課程への進学につながっていたと思う.

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修士論文①(Open Forum)

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修士論文②(Open Forum)

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修士論文③(Open Forum)

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修士論文④(Open Forum)






 修士課程の2年間は,小学校の教諭として教務主任をしながら,1~2か月に1回は放送大学に通っていた.通っていたと言っても佐賀県在住であるので住居に近い長崎空港から羽田空港まで飛んで,リムジンバスで幕張まで通う日々であった.最初は,セミナーハウスを利用せずに幕張駅に近いホテルに宿泊していたので,結構金がかかってしまったものだ.大学では,指導教官を囲み,自身の進捗状況を説明したり,他の院生の説明を聞いたりと中身の濃い内容であったのを覚えている.同期には,文部科学省の官僚,高等学校教員,自衛隊員,NHK職員など多種多様の人たちがいて,それぞれに設定したテーマで修士論文を執筆していた.しかし,AIじゃあるまいし自身の持つ概念とリンクしない内容については,全く思考することも出来なかったことを覚えている.ところが,このゼミを束ねていた指導教員の岩永先生(現学長)は,全ての課題に対して適切なアドバイスと指導を与えていたので,それこそリスペクトの極みと感じていた.2年間というのは長いようで「あっ」という間に終わってしまう.僕は,2年目も教務主任として学校全体の教育計画を立てる役職で多忙な日々を送っていた.ご存知のように,修士課程は自学で30単位を取りつつ,修士論文をまとめ,最後は口頭試問に合格するというハードワークである.僕は,児童の思考過程に興味があり,児童の記憶がどのように形成されているかを知りたかったので,認知科学を中心とした講座を選択していた.教員なら児童や生徒が,自身が指導した内容をどのように概念化したのかについて知りたいのは当然だろうが,この思いは現場の教員ならではのものであろうと思う.

ここで教育学と言わずに認知科学と言うところが面白い.それは,小中学校の教員として教育学は30年もやってきたが,児童や生徒がどのようにして知識を概念化するかについては,現場の教員としては何も結論を得ていなかったからである.(続く)