今回は,海馬の学術的研究成果から考えられる学習法と本研究の仮説のまとめについて説明します.
小中高における現在の学習にとって重要なことは,文科省によって制定されている学習指導要領に則った授業内容を,教諭である先生方が独自の解釈を踏まえて構成し実践することです.何も他人に言われた通りに実践する必要はありません.必ず,ご自身で学習指導要領と教科書をお読み頂き,解釈してから授業構成を考えて頂ければと思っています.
さて,学習指導を行う上で注目すべきは海馬です.おそらく,大学の教員養成課程では,あまり触れられていないのではないかと思いますが,海馬の機能を知れば授業について考える時に色々と便利です.
ここでは,海馬研究の専門家である東京大学薬学部教授の池谷裕二(いけがやゆうじ)博士(薬学)の書かれている内容を参考に考えてみます.
ちなみに池谷博士が書かかれた,「海馬の基礎知識」は「基礎」となっていますが,海馬の専門研究者に必要な内容ということですので,一般的には難しい内容となっています.
この記述で,特に小中高の先生方に関係する部分は,8.海馬機能への考察,8-1 海馬と記憶・学習です.ただしこの場合の学習は,人(或いは動物)として物事を知る・事態を把握する(記憶する)と言った広義の意味です.
この中で特に注目すべき記述がこれです.
①:『電気生理学的実験によって、海馬の神経細胞が環境内に置かれた何らかの刺激によって活性化されることが示された。たとえば、迷路内を走り回るラットの個々の海馬神経細胞の活動を記録すると、特定の細胞は迷路の特定の場所を走り抜けるときに活動することが分かる。これは場所細胞(Place cell)と呼ばれる海馬の細胞である。こうしたデータから、外の世界を認識する地図(cognitive map)が海馬の中に形成されているものと推測されている(O’Keefe, 1979)。』
この部分で述べられているcognitive mapとは,人や動物が空間を移動する場合,自身の周りの空間を頭の中でイメージした時に認識するマップのことです.児童・生徒が校内や通学路を自由に歩くことができるのは,過去にそれらを移動した経験のエピソードが記憶されており,どのように移動すればいいのかが分かるからです.
ここからは私見ですが,地図そのものが内包されている訳ではなく,生物が空間を移動する場合に,主に視覚から入る画像情報を認知し,それにより再構成されたイメージが内部的な表象となって意識されているものと考えています.場所細胞という名前は,空間移動という動きが付随しますが,例えば学校内であれば児童・生徒が教室や理科室,音楽室などのそれぞれ場所に行くと活動すると考えられます.
かつて理科を指導していた時に,児童が理科室での授業をとても楽しみにしていたのを思い出します.おそらくは,場所細胞が活性化することによる副次的に心的な好影響があったのではないかと思います.
次の記述です.
②:『より一般的な意味では、海馬体の神経細胞は、様々に活性化されるユニットの組み合わせ、つまり「アセンブリー(assembly)」として働くことで、現在の経験を内部表象している、と考えることもできる。おそらく、こうした海馬の内部表象と、大脳皮質にあるより詳細な経験情報が相互作用することによって、長期的な記憶が形成されるのだろう(Wilson and McNaughton, 1993, 1994; McHugh et al., 1996)。』
この内容は,学校教育にとって非常に重要だと思います.そして,この記述こそが「理解」の中身と考えられます.
まず,海馬の神経細胞が,様々に活性化されるユニットで構成されてるという事です.また,それらが「アセンブリー」,つまり集合体として組み合わされて働いているという事です.
そして多くの異なった機能を持つ神経細胞が,同時に働くことで内部表象つまり記憶想起できると書かれています.
その次のアンダーライン部が更に重要で,海馬による記憶想起と,大脳皮質にあるより詳細な経験情報とは,このブログでも取り上げたスキーマであると解釈できます.そして,海馬で記憶想起されたエピソードがスキーマから得られた知識と相互作用することで,長期記憶が形成されるのだろうと書かれています.これは,このブログでも何度も言ってきた「記憶想起した内容と既存の知識との連関が重要である」という主張と符合する部分です.
つまり授業においては,事柄の関連性を探る学習行動が必須であるという事になります.
「相互作用することによって」とは,今まさに海馬の中で,記憶想起した内容と既存の知識との連関を意識するような何かしらの学習行動を仕組むことが,児童・生徒の理解の条件ですよと言っているのです.そうすることで,長期記憶が形成される,つまり理解が進行するという事になります.
私は,「学習内容を理解するとは,児童(生徒)が学習内容やその過程を正しく記憶に残すことである」と博論には記述しています.
次の記述です.
③『これらの電気生理学的なデータが示唆することは、海馬体の神経細胞がある特定の情報に選択的に反応するわけではなく、むしろ、行動のすべてを表す内象を一時的に記憶しておく、いわば、短期記憶バッファーとして働いていると考察される。この内部表象が後に再生されることで、ゆっくりと大脳皮質の長期的な記憶に置き換えられていくのだろう(Eichenbaum, 2001; Haist et al., 2001)。実際、徐波睡眠(slow-wave sleep)中に海馬で、覚醒時での行動が内部再生されることはすでに示唆されている(Hoffmann and McNaughton, 2002)。』
この部分は,さらに衝撃的でした.
海馬での内部表象,つまり授業中に記憶想起している内容(映像や音声等々)については,後で再生することが重要であり,そうすることによって大脳皮質へと送られる長期記憶に置き換わるという事が書かれています.
これは,私が提唱している記憶再生マップの考え方と符合します.単元後に,児童・生徒一人一人がじっくりと記憶再生マップと向き合い,自己中心的言語によって内なる納得をしながら記憶想起することで,概念化が促進されることは,このブログで何度も説明してきました.
私は,博論を書いた時には,ここまで神経科学や生理学,解剖学の論文に目を通していなかったのですが,池谷博士の書かれた「海馬の基礎知識」や論文を読んで納得させられました.
このように池谷博士が書かれた海馬の基礎知識(※専門家にとっては基礎知識)をもとに,学校教育における学習行動を考えると,ここに記したような内容になります.
未だに教育現場では,「〇〇を使うと,児童がよく理解できます」とか「〇〇を積極的に使わなければなりません」とか,全くエビデンスの無い指導をされている方々がおられます.これではいつまで経っても,学校教育は変わらないと思います.
どうか,このブログを読んで真剣に考える先生方が一人でも増えることを願っています.
なお,今回は内容が難しかったかも知れません.もし,疑問を持たれたら遠慮なくコメントして頂きたいと思います.
本来の予定としましては,神経細胞の発火現象についても記述すべきでしたが,混乱する可能性もありましたので,このような表現になりました.今回も丁寧にお読み頂き感謝申し上げます.
次回は,検証の方法について紹介します.