記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

海馬と学習:神経科学からの教育への示唆

 回は,海馬の学術的研究成果から考えられる学習法と本研究の仮説のまとめについて説明します.

 中高における現在の学習にとって重要なことは,文科省によって制定されている学習指導要領に則った授業内容を,教諭である先生方が独自の解釈を踏まえて構成し実践することです.何も他人に言われた通りに実践する必要はありません.必ず,ご自身で学習指導要領と教科書をお読み頂き,解釈してから授業構成を考えて頂ければと思っています.

 

 て,学習指導を行う上で注目すべきは海馬です.おそらく,大学の教員養成課程では,あまり触れられていないのではないかと思いますが,海馬の機能を知れば授業について考える時に色々と便利です.

 ここでは,海馬研究の専門家である東京大学薬学部教授の池谷裕二(いけがやゆうじ)博士(薬学)の書かれている内容を参考に考えてみます.

 ちなみに池谷博士が書かかれた,「海馬の基礎知識」は「基礎」となっていますが,海馬の専門研究者に必要な内容ということですので,一般的には難しい内容となっています.

gaya.jp

 の記述で,特に小中高の先生方に関係する部分は,8.海馬機能への考察,8-1 海馬と記憶・学習です.ただしこの場合の学習は,人(或いは動物)として物事を知る・事態を把握する(記憶する)と言った広義の意味です.

 の中で特に注目すべき記述がこれです.

 ①:電気生理学的実験によって、海馬の神経細胞が環境内に置かれた何らかの刺激によって活性化されることが示された。たとえば、迷路内を走り回るラットの個々の海馬神経細胞の活動を記録すると、特定の細胞は迷路の特定の場所を走り抜けるときに活動することが分かる。これは場所細胞(Place cell)と呼ばれる海馬の細胞である。こうしたデータから、外の世界を認識する地図(cognitive map)が海馬の中に形成されているものと推測されている(O’Keefe, 1979)。

 この部分で述べられているcognitive mapとは,人や動物が空間を移動する場合,自身の周りの空間を頭の中でイメージした時に認識するマップのことです.児童・生徒が校内や通学路を自由に歩くことができるのは,過去にそれらを移動した経験のエピソードが記憶されており,どのように移動すればいいのかが分かるからです.

 ここからは私見ですが,地図そのものが内包されている訳ではなく,生物が空間を移動する場合に,主に視覚から入る画像情報を認知し,それにより再構成されたイメージが内部的な表象となって意識されているものと考えています.場所細胞という名前は,空間移動という動きが付随しますが,例えば学校内であれば児童・生徒が教室や理科室,音楽室などのそれぞれ場所に行くと活動すると考えられます.

 かつて理科を指導していた時に,児童が理科室での授業をとても楽しみにしていたのを思い出します.おそらくは,場所細胞が活性化することによる副次的に心的な好影響があったのではないかと思います.

 

 の記述です. 

 ②:『より一般的な意味では、海馬体の神経細胞は、様々に活性化されるユニットの組み合わせ、つまり「アセンブリー(assembly)」として働くことで、現在の経験を内部表象している、と考えることもできるおそらく、こうした海馬の内部表象と、大脳皮質にあるより詳細な経験情報が相互作用することによって、長期的な記憶が形成されるのだろう(Wilson and McNaughton, 1993, 1994; McHugh et al., 1996)。』

 

 この内容は,学校教育にとって非常に重要だと思います.そして,この記述こそが「理解」の中身と考えられます

 まず,海馬の神経細胞が,様々に活性化されるユニットで構成されてるという事です.また,それらが「アセンブリー」,つまり集合体として組み合わされて働いているという事です.

 そして多くの異なった機能を持つ神経細胞が,同時に働くことで内部表象つまり記憶想起できると書かれています.

 その次のアンダーライン部が更に重要で,海馬による記憶想起と,大脳皮質にあるより詳細な経験情報とは,このブログでも取り上げたスキーマであると解釈できます.そして,海馬で記憶想起されたエピソードがスキーマから得られた知識と相互作用することで,長期記憶が形成されるのだろうと書かれています.これは,このブログでも何度も言ってきた「記憶想起した内容と既存の知識との連関が重要である」という主張と符合する部分です.

 つまり授業においては,事柄の関連性を探る学習行動が必須であるという事になります.

 「相互作用することによって」とは,今まさに海馬の中で,記憶想起した内容と既存の知識との連関を意識するような何かしらの学習行動を仕組むことが,児童・生徒の理解の条件ですよと言っているのです.そうすることで,長期記憶が形成される,つまり理解が進行するという事になります.

 私は,「学習内容を理解するとは,児童(生徒)が学習内容やその過程を正しく記憶に残すことである」と博論には記述しています.

 

 の記述です.

 ③これらの電気生理学的なデータが示唆することは、海馬体の神経細胞がある特定の情報に選択的に反応するわけではなく、むしろ、行動のすべてを表す内象を一時的に記憶しておく、いわば、短期記憶バッファーとして働いていると考察されるこの内部表象が後に再生されることで、ゆっくりと大脳皮質の長期的な記憶に置き換えられていくのだろう(Eichenbaum, 2001; Haist et al., 2001)。実際、徐波睡眠(slow-wave sleep)中に海馬で、覚醒時での行動が内部再生されることはすでに示唆されている(Hoffmann and McNaughton, 2002)。

 この部分は,さらに衝撃的でした.

 海馬での内部表象,つまり授業中に記憶想起している内容(映像や音声等々)については,後で再生することが重要であり,そうすることによって大脳皮質へと送られる長期記憶に置き換わるという事が書かれています.

 これは,私が提唱している記憶再生マップの考え方と符合します.単元後に,児童・生徒一人一人がじっくりと記憶再生マップと向き合い,自己中心的言語によって内なる納得をしながら記憶想起することで,概念化が促進されることは,このブログで何度も説明してきました.

 私は,博論を書いた時には,ここまで神経科学や生理学,解剖学の論文に目を通していなかったのですが,池谷博士の書かれた「海馬の基礎知識」や論文を読んで納得させられました.

博士論文より

 のように池谷博士が書かれた海馬の基礎知識(※専門家にとっては基礎知識)をもとに,学校教育における学習行動を考えると,ここに記したような内容になります.

 だに教育現場では,「〇〇を使うと,児童がよく理解できます」とか「〇〇を積極的に使わなければなりません」とか,全くエビデンスの無い指導をされている方々がおられます.これではいつまで経っても,学校教育は変わらないと思います.

 うか,このブログを読んで真剣に考える先生方が一人でも増えることを願っています.

 お,今回は内容が難しかったかも知れません.もし,疑問を持たれたら遠慮なくコメントして頂きたいと思います.

 来の予定としましては,神経細胞の発火現象についても記述すべきでしたが,混乱する可能性もありましたので,このような表現になりました.今回も丁寧にお読み頂き感謝申し上げます.

 回は,検証の方法について紹介します.

意味ネットワークモデルによる概念再構成:児童の能動的な概念形成を促す

 回は,仮説②について説明します.本年もよろしくお願いいたします.

 説②「児童の知識モデルとして,意味ネットワーク・モデルの手法により,児童が自己の概念を概観できる形で表象し,それらの関係性を考える機会や他の児童に説明する機会を設けることにより,概念の再構成が可能となる.

 のように,ここでは教師の発話による誤概念の問題は解決したという想定で,話が進むことになります.ここでのポイントは,概念の再構成ということでしよう.

 

 師の発話による誤概念の形成問題が解決されると,児童は授業のエピソードや獲得した知識を記憶に留め保持することになります.これらの記憶は,海馬と呼ばれる部位で概念化されます.

 ころが,記憶は必要に迫られて初めて利用できるようになるのですが,想起する必要のない記憶やリハーサルをしない記憶は,徐々に消失します

 

 なみにリハーサルという心理学用語は簡単に言えば,何度も言語を唱えて忘れないようにすることです.

 近では,スマホの二重認証でパスワードの他に,SMSやメールを通じて送られてくる短い数字の文字列を,唱えながら入力する場合などに使うやり方もリハーサルです.絶えず繰り返し唱えないとすぐに忘れてしまう脳の部位に入力されるからです.通常は,スマホの文字列コピー機能を使ってペーストしますが・・・・.

 ころがパスワードは,唱えなくても忘れていません.それは,しっかりと概念化され記憶されているからです.つまり,そのパスワードの文字列は,他人から見れば全く意味の無い文字列ですが,あなたにとっては「意味ある」ものです.

 念化とは,自分にとって意味を持たせることですし,概念化すると意味が分かりますので説明することが可能です.例えば,「〇〇〇〇という文字列は,〇〇銀行の私の口座の暗証番号です」などです.

 では,この意味は獲得したのでしょうか.

 そうではないことはお分かり頂けると思います.

 うです,この意味は自分で与えるものなのです.

 まり,児童が学んだ記憶(エピソードや知識)を概念化させるためには,児童自身が意味を与える操作をしなければならないという事になります.そして,自分にとって重要であると判断できたエピソードや知識は,忘れてはならないのです.

 の図は,記憶想起によってなされる場面を表した図です.女の子が授業後に,記憶に残っているエピソードの場面や学習のまとめが書かれた板書を記憶想起しながら,大切だと考えているシーンです.

 のような事は,これまで文科省の指導要領には明示されていなかったので,現行の教科指導過程では,この手続きを行っていません.つまり,児童が獲得した知識は,即時的に概念化すると考えられていたと言っても過言ではありません.

 もちろん,そんな児童も確かに存在しますが少数です.

 方で,1970年代後半から2000年代前半にかけて海馬の研究が進むにつれて,授業と海馬の生理学的機能をどう結び付け,いかにして海馬を利用すればよいかなど議論がなされたことはありませんでした.

 まり現行の一過性の学習過程では,多くの記憶が学習終了後にほとんど利用されずに消え去り,それ故に概念形成できなかった児童が多かったと考えられます.つまり,45分間の学習内容を記憶想起させるような仕組みが,これまでの授業では用意されていなかったという事になります.

 は,このような現行の一過性の学習過程を消極的な概念形成と呼んでいます.

 方で,本研究での記憶想起を主要な手段として活用する概念形成過程は,学習者によって獲得した知識を,納得を伴う児童の精緻な思考過程により,既存の概念や獲得した知識とを一連の関係としてつなぎ合わせる,言わば積極的な概念形成です

 次回は,海馬の学術的研究成果から考えられる学習法と本研究の仮説のまとめについて説明します.

 今回も丁寧にお読み頂きありがとうございました.

授業における言語コミュニケーションと児童の概念形成:誤概念生成・修正メカニズムの解明に向けて

 正月の能登半島地震で始まった令和6年も,もうすぐ終わりです.

 のブログは,ほぼ10日おきに更新作業を行ってきました.今年は今回で38回目となります.いつもお読み頂き,感謝申し上げます.

 て今回の話題は,博論によればp22~28に書かれている「4. 仮説と方法」の内容です.ここでは,二つの仮説を設定しました.今回は,その内の一つについて説明いたします.

 なお,文中の「児童」は,中学校・高等学校にあっては,生徒と読み替えて下さい.

 仮説①「教師の発話に起因する児童の誤概念は,教師の別の発話やジェスチャーにより修正される.」

 私の博論は,このように「教師の発話」についての仮説を最初に取り上げました.

 それは,様々な事柄の概念が主に言語によって表象されるからです.

 また児童が正しい概念を形成するためには,児童が,授業で交わされる言語を正しく再認する必要があるからです.

 

 の図は,理科の時間に,先生が水に食塩や砂糖などを溶かす実験を行うことを前提として児童に,食塩や砂糖などの発言を期待して発話した数秒間の出来事を絵にしたものです.

 この図の例では,先生の発話する内容と児童が経験した内容やもともと持っていた関連する知識の内容は,言語で表現されています.

 このように記憶の中身については,主に言語によって表象されるのです.

 

 れは前回お示しした目的①「教師の発話による児童の誤概念の形成と修正」に関係しています.

 一般的に,これまでの教育関連の論文等で,「教師の発話」を児童の誤概念形成の原因と考えたものは極めて少なく,むしろ教師の発話は完璧であるとの前提で,様々な議論がなされていたと考えています.

 ぜなら,文科省からの様々な提言等々は,教師の発話を非とする発想がありません

 ですから,「学習の目標や教材について理解し,計画を立て,見通しを持って学習し,その過程や達成状況を評価して次につなげる能力を育成するために,個別最適な学び自己調整して進めることが大切.」などの提言も,全て学習者の行動目標的に規定してあるような表現でした.

 かし,「学習の目標や教材について理解し」について言えば,そもそも理解することが出来ない児童も存在する訳で,その原因も児童の内部的要因だけではないはずであるという議論が存在しても不思議ではありません

 しかし,そのような疑問は切り捨てられて,最近では「個別最適な学び」を実現するための方策や自身の学びをいかにして「自己調整」するかなどのトレンド的な研究内容が多いような気がしています.

 業を含める学校生活を教師と児童児童同士児童自身児童と道具等情報のやり取りと考えると,最も多くの時間になるのは,教師と児童の情報のやり取りです

 その中でも言語音が行き交う発話によるやり取りが,最も多くの時間を要するはずです

 

 前,現場の教員向けの講演会で,大学の先生が檀上に設けられた教室のセットで,数人の児童を相手に「模範授業」なるものを公開されたことがありました.

 しかし,その先生が一生懸命に授業をなさるのですが,発話される言語が児童にとって難しく,上手く行かなかったことを思い出します.

 先生は,ご自身の発話される言語が,児童にとって難しいとは認識されずに,なぜ児童は期待した言語を発話しないのか迷っておられましたが,私は分かっていたので残念な気持ちになりました.

 この例を笑い話としてスルーするのか,研究の一つの素材と考えるかが重要であると言えます.

 ここの研究が上手く行かなければ,今後AIによる教育現場での授業支援等々の問題が出た場合,AIも人間と同じ轍を踏むことになりかねないと危惧しています.

 

 の仮説は,教師の発話によって児童に誤概念が生じたとしても,教師の更なる修正のための発話ジェスチャーにより,誤概念が修正されるだろうというものです

 そらく現場の先生方は,直感的に「できそうだ」とお考えになるのではないでしょうか.

 

 後,教師の発話にフォーカスした実践研究の詳しい中身についてもご紹介いたしますので,続けてこのブログに注目して下さい.

 今回はここまでです.丁寧にお読み頂きありがとうございました.

 

 最後にお願いです.このブログの内容が,教育の現場で活躍されている先生方に有益であるとお考えになる場合,是非とも情報を共有して頂くと,私のやる気につながってきます.

 

 

記憶の糸を紡いで、知識の地図を描く! 知識モデルを活用した学習法~物語を学びに変える! エピソード記憶が概念形成に果たす役割~

 つもお読みいただきありがとうございます.前回は,批判的思考を話題とした内容でしたが,多くの皆様にお読み頂き感謝申し上げます.兵庫県知事選挙についても今後,まだまだ色々とありそうですが,このブログの本来の目的に戻って,皆様にお伝えいたしたいと思います.

 の情報ソースとなっている私の博論は,放送大学リポジトリで,とうとう1年間「最も閲覧されたアイテム」1位をキープし続けました.放送大学という一大学の話ではありますが,多種多様な学内で生み出された多くの論文の中で,博論という非常に厳しい条件をクリアした専門的な論文が,国内外から多数アクセス(4136件)して頂きました.

 て今回は,この博論の研究目的についてご説明いたします.と言いましても,もう既に論文は完成しておりますので,これから紹介する目的は全て達成されていることにご留意下さい.

 これまで説明させて頂いたように「確かな学力」とは,児童・生徒が新たに獲得した知識を既存の知識と網目状的に関係づけ,概念化するプロセスを通して初めて身に付けられるものと考えられます.

 た,網目状的な関係とは,学んだ知識の一つ一つが,児童・生徒自身が納得する理由によって,別の知識と意味を持って結びつくことを,児童・生徒自身が自認できる関係の事です.

 

 士論文に限らず一般的に研究論文では,研究の過程でどのようなことを為すのかという目的を書きます.これらの詳細は後々詳しくお伝えいたします.

 

 目的① 教師の発話による児童の誤概念の形成と修正

 単に言えば,授業では教師の発話によって,児童・生徒に誤概念が生じることがあるという事と,それら誤概念は教師の発話によって修正されることもあることを実践的に確かめたという事です

 ぜ言語音に関する内容を研究の最初に設定するかと言えば,児童・生徒が獲得する知識の多くが,教師の発話によってもたらされるからです.

 

 

 目的② 学習により記憶された知識や経験の表象 

 簡単に言えば,獲得した知識を,スキーマにある既存の知識や経験と網目状的に関連付けることを授業中に行うという事です

 童・生徒の学習にとって重要なことは,学習の結果や経験がどのように結びついているかを児童・生徒自身が明らかにできるようにしてやることです.従って,これまでにない新たな学習過程として,記憶を想起させる学習活動を設定し,それは想起した記憶を表象するものです.

 

 

 目的③ 知識モデルによる児童の学習評価 

 単に言えば,目的②で表象されるであろう児童・生徒自身の,その単元もしくは小単元の知識モデルは,彼らの理解を表象したものと考えられることから,学習評価として利用しようということです.

※このマップは以前のものですので,現在の指導要領に合っていない部分があります.なお,「ブラウン運動」については,授業で言及しています.

 

 目的➃ 概念形成におけるエピソード記憶の利用

 単に言えば,獲得した知識を記憶するために,エピソード記憶がどのような働きを為しているかを調査するという事です.

 

 目的⑤ 学習のまとめとして知識モデルを作成することの優位性 

 単に言えば,関連する内容を次々と想起させてつなげていくことで,自分の知識を絵的なつながりや広がりとして確認する知識モデルの表象が,自身の理解の程度を客観的に認識できるということです.

 これは目的③と④のように記憶再生マップを見て頂くと,自分が何をどの様に理解しているかを自認できるという事です.

 

 今回はここまでです.ご質問等にはお答えいたします.

 最後に放送大学のイベント告知です.岩永学長は,私の博士課程時代の主任指導教員です.佐賀にお住いの方で,都合がつかれればご参加下さい.私も参加したいと思います.

 

日本の教育の光と影:批判的思考の欠如が招いた知事選の結果 ~なぜ日本の教育は「疑うこと」を教えないのか?~

 いつもお読みいただきありがとうございます.

 13日に前回の投稿をした後,兵庫県知事選がありましたね.私は政治の専門家ではありませんので,あまり言いたくはないのですが,一部の人たちはSNSの活用で再選につながったようなことを言っているようですが,私はむしろ日本の教育によって彼に勝利がもたらされたと思っています.どういうことかと言えば,T氏の流布した嘘を,兵庫県民が信じてしまったことによる勝利だということです.つまりクリティカルシンキングファクトチェックの問題です.

 前々回で文部科学省も参照しているCCR(The Center for Curriculum Redesign)の図を出しましたが,下の図の赤四角の部分を見て下さい.

 

 21世紀の教育における枠組み(Framework)の中の児童・生徒に身に付けさせたいスキルです.つまり「How we use what we know.=知っている事をどう使うか.」は,上から和訳すると「創造性」「批判的思考」「コミュニケーション」「共同(協働)作業」となります.すなわち,これら4つの能力を培うように提言されている訳です.

 つまり,①創造性を育むような仕掛けを授業に仕組むこと,②目の前の情報を吟味することなしに信じるのではなく,情報の正確さや真実性があるか批判的な目で確かめること,③様々な情報元とやり取りを行うこと,➃自分一人で行うことはもちろん,他と協働しながらも活動することを提言しています.

 

 しかし文科省は,これらを自分(文科省)たちが今まで言ってきた「思考力・判断力・表現力等」と読み替えてしまいました.

 その結果,CCRの具体的な提言が非常にボケたものになってしまったのです.また,現場の学校等では,文科省の指導を受けた教育委員会等の右へ倣い指導により,Critical Thinking=批判的思考」の文字は無くなった訳です.ちなみに,現行の学習指導要領に「批判的思考」の言語は見当たりません.

 私が教員を始めた頃からのことを回想すると,「批判的思考」という考え方は,インターネットが教育界に広まり始めた1990年代初頭から,ちらほらと聞くようになったようです.もちろん,機器や回線の整備等の違いで県によってはもっと後だったところもあるかも知れません.その意図は,「インターネットの情報を鵜吞みにすることは危険である」という教えでした.

 しかしながら,2000年あたりから校内のネット環境が急速に進むにつれて教育現場の興味は,ネット環境をどのように生かしていくかという事がメインとなり,例えばCU-SeeMeなどのテレビ会議ソフトを使った遠隔授業などが盛んに研究されました.

 そして,私の周辺で「批判的思考」という言語が,校内研究や指導主事などの指導で話題になったという記憶はありません.

 このように現行の日本における教育を考えてみますと,従順なる労働者の育成とでも言いますか,物事を批判的に見る思考回路が形成されてこなかったようです

 このようなことから,今でもメディアを賑わしている兵庫県知事選挙での結果は,これまでの日本の教育がもたらしたものだと考えているのです.もちろん,そうでないかも知れませんが,もしそうであれば教育界の責任は大きいと言えそうですね.

 

知識の再構成と内言:記憶想起を通じた深層学習の実現に向けて

 回は,「思考力」という言語のイメージを紹介しましたところ,多くのアクセスを頂き感謝いたしております.

 佐賀大学の角先生にもご説明したところ,「国語や算数など,具体的な事例が欲しい」ということでしたので,最後に少しだけ考えてみたいと思います.

 

 回は,博論のp17 L9~p19 L7までを,簡潔にまとめてみます.

【研究の意義】

①確かな学力の本質は,獲得した知識や既存の知識が連携して新たな知識になることが重要

 

②従って,獲得した知識を概念化するプロセスを学習過程に位置付けることが必要

 

③しかし,児童・生徒が知識を概念化したプロセスは客観性に欠けることもあり,さらに再構成し,他者の納得を得る学習過程も必要

 

④このようなことを為すためには,記憶を想起(再生・再認・再構成)する学習行動を学習過程に位置付ける必要がある

 

⑤実際の授業での記憶想起は,全てが個人的な枠組みの中でなされる必要があり,具体的には,手がかり再生によって単元の学習中に児童・生徒が経験したエピソードや既有の概念を表出して確認するこのような学習はほとんどこれまでなされていなかった.

 

⑥本研究は,ヴィゴツキーの内言観と佐伯胖の「わかる」の解釈に依拠している

 

⑦従って,児童・生徒が知識の獲得を受けて科学的概念に向けて思考するためには,自己中心的ことばを以て思考することが重要となる

 

 を図にすると次のようになります.K1~K10は,スキーマ内の知識です.

      (注) 目のイラストは,思考の目(Eye of Thought)です.

 

 ず,課題(P)を理解した後,スキーマを検索し,関係する知識を探します.説明の都合上,K1とK7を課題に関係する知識としています.

 また,この図は同時に多くの知識が想起されているようになっていますが,基本的には関係のありそうな知識を一つずつ見ていると考えています

 関係すると考えた記憶が一つずつ想起され,順次それらを見ている様子を動画で示すことができなかったので,このような表現にしています.

 らに実際の授業では,教師のどのような発話で記憶想起させるかがポイントとなりそうです.

 

 題と直結する知識K1とK7が,非常に近いところで想起され,新たな知識が生成されることがあります.また,関係のない知識(K1とK7以外)は潜在化します.

 

 単な例で考えてみます.

 直角三角形の面積を考える場合,当然ながら公式はまだ知らないのですから,単位面積(K1)について記憶想起したり,四角形の面積(K7)を記憶想起したりするといったことです.

 

 身の脳内にある直角三角形のイメージの近いところに四角形のイメージを置いて考える場合などが,この図に近いと考えます.実際には,不確かな念頭操作だけでなく,ノートに図形を記述しながらの思考ということになると思われます.

 

 (注)直角三角形の面積を初めて考える児童の脳内イメージです.矢印は脳内で,思考の目が記憶想起した知識を見ていることを示しています.

 

 のような記憶想起を起こさせるためには,教師側からの適切な発話が必須となります.

 例えば,

 「これまで勉強したことで,直角三角形の面積を求めるために使えそうな内容は,何かありますか.」・・・・(a)

 「四角形の面積を求める公式は,直角三角形の面積を求める時に使えそうですか.」・・・・(b)

 「直角三角形の面積は,どうしたら求められるでしょうか.」・・・・(c) 

 など,色々と考えられます.

 このなかで児童が一番苦労するのは,(c)ですし,脳内に関係するイメージが比較的楽に記憶想起されるのは,(b)です.

 童がどうしても自力で解決策を発想することが必要だと考えられる場合は,(c)のように発話すればよいですし,記憶想起させた内容と課題との関係性を重視させたい場合は,「四角形の面積の公式を使ってみたらどうか」と助言するのもありでしょう.

 

 ずれにしても,このように既存の知識と獲得した知識を関係づける思考を行わせるには,授業において常に記憶想起をさせるように指導の中身を考える必要があります

確かな学力とは何か?~文科省の定義と脳科学からのアプローチ~

 いつもお読み頂きありがとうございます.

 今回は,「確かな学力」ついてもう少し解説します.

 少々込み入った話になりますが,学力の本質を理解するためにも,宜しくお願い致します.

 私は博論で「生きる力」に直結する「確かな学力」とは,「獲得し,そこにある知識ではなく,新たに獲得した知識を既存の知識と関連づけ概念化するプロセスを経て培われるもの」というように定義しました.

 一方,文科省の定義では,「知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」としています.私は現職の頃,この定義をよく理解できませんでした.

 なぜなら,「知識を持っていても,それを使えなければ,だめじゃん」と考えていた訳です.つまり,「学」と言っている以上は,何らかのmovement(動き)がある訳で,「知識」自体には動きはありません.

 

 この学力について,過去の識者の定義も含めて,よくまとめられている東京家政大学の鵜殿篤(うどのあつし)さんが主宰されているブログが参考になります.

「学力」とは何か?―学校教育法の定義と背景― | 眼鏡文化史研究室

 

 一方,次の図は,文科省による学習指導要領改訂時に参考にされていたCCR(The center for curriculum redesign)の,学力に関するフレームワークです.

「Four-Dimensional Education」に記載されている統一フレームワーク

 

 文科省は,このフレームワークから次のような読み替えを行ったということです.

 

 この読み替えには,私は同意できません

 なぜなら原文には,「世界中の35の管轄区域と組織からのカリキュラムを統合し,教師や管理者からの意見,および雇用主,経済学者,未来学者の期待に関するレポート」とともに作成した旨の表現があるからです.

 また,知識に加えて12の能力のリストを作成したとも書いてありますが,文科省が加工した上の資料には,スキル・人間性メタ認知の能力を合計しても10しか無く,さらにメタ学習のタイトルがメタ認知に変更され,具体的な能力を省いてあります.

 

 これらに加えて,メタ学習(文科省メタ認知と変更)は,背景化していますので人間性等とは,同列ではありません.つまり,学び方を学んだ後の話ということになると思います.

 私は,CCRが提示したフレームワークを,そのまま活用した方が分かり易かったと思っています.

 なぜならば,「個別の知識・技能,思考力・判断力・表現力等,主体性・多様性・協働性・学びに向かう力・人間性など」と言語化した時点で,フレームワークのイメージが不明となり,先生方によく伝わらないからです.

 

 ただ,我々は教員ですので,「個別の知識・技能,思考力・判断力・表現力等,主体性・多様性・協働性・学びに向かう力・人間性など」が学力に結びつくことは,百も承知です.言ってみれば,当たり前です.

 以前も言ったかと思いますが,人間は「言語」で情報をやり取りしている以上,その言語の概念が同じでないと正しく情報は伝わりません

 例えば,「思考力」という言語がどのような意味や概念を持つかは,人によって異なります.インターネットで検索しても,言語を言語で説明する図はありますが,イメージでの説明は見たことはありません.

 

 そこで「思考力」のイメージを考えてみました.なお,このイメージは,脳内のニューロンに保管されている記憶の所作をもとに,短時間で考えたもので,今後修正する可能性はあります.

 

 

https://drive.google.com/file/d/1pNEMUEVFLjH7As0Un4RSrbUSawZ9h2aY/view?usp=sharing

 

 脳内で行われている記憶をめぐる「思考の目」による検索や関連づけは,このような事と考えられます.ですから,4の検索が早い児童・生徒や,5の解の構成に長けた児童・生徒は,解の生成が早く,一般的に「頭がよい」などと判断されます.

 

 しかし一方で,様々な関連する記憶を広く見渡すことも,思考力の大切な要素と言えるでしょう.これは熟考につながります.

 

 脳のこのような仕組みを知れば,学校教育においてどのようなプラクティスを行わなければならないかお解りになると思います.

 

 私が博論で,確かな学力を「獲得し,そこにある知識ではなく,新たに獲得した知識を既存の知識と関連づけ概念化するプロセスを経て培われるもの」と定義しましたが,「知識の検索や関連づけ」が学力向上には非常に重要になる訳です.

 

 つまり,このブログの名前にもあるような,記憶の再生(=記憶想起)が学力向上には必須ということになります.

 

 なお,「思考の目」という言語は,私が勝手に名付けました.

 国語科の詩の指導などで,「心の目」という言語を使われることと同じようなものですが,実際に指導に使われる時には,「思考」という言語の持つアカデミックさを利用された方が上手くいきそうです.

 

 「思考のイメージについて考えてみました」は,上のリンクからA4版のファイルとして取得することができます.

 

 また,判断力や表現力等は,どのように考えればよいか,皆さんも,一緒に考えて下さい.

 

 長くなりましたが,今回はここまでです.

ちょっとひと休み・・・・

 みなさんは,児童・生徒が「ある概念」を持っているかどうか知りたいときは,どのようになさっていますか.

 児童・生徒が保持しているスキーマの中の「ある概念」の有無を予め知っておくと,授業がとてもしやすくなります.これまでもスキーマの重要性は,このブログでも紹介しています.

 今回は,日本産業技術教育学会九州支部で発表した内容です.

 児童・生徒が「ある概念」を持っているかをウェビングマップを利用して調査する方法について,学会発表しました.

 学会は「技術科」の学会でしたので,直接的にはこのような趣旨ではなかったのですが,ウェビングマップの利用について参考になるかと思います.

 発表の Prezi Video は,これ

prezi.com

です.

「確かな学力」の深層を探る:知識の統合と思考力の育成

 いつもお読みいただきありがとうございます.

このブログでは,現在放送大学学術リポジトリ

放送大学機関リポジトリ

の「最もアクセスされたアイテム」で10か月連続1位となっている私の博論をもとに,教育現場で役に立つ記事をお届けしています.

 なお,博論タイトルは「小学校理科教育における指導方略の研究-意味ネットワーク・モデルとその発展型を用いた知識構成-」と理科教育について述べていますが,本質的には全ての教育に通じる内容となっています.

 

 今回は,研究の意義について解説します.

 ここでは,「確かな学力」について,次のように論じています.

 「確かな学力」とは,『児童・生徒が将来の様々な困難な状況に直面した時,それらの問題を解決するためにも必ず身に付けさせなければならないもので,この学力は,獲得しそこにある知識ではなく,新たに獲得した知識を既存の知識と関連づけ概念化するプロセスを経て培われるもの』としています.

 一方で文科省は,「確かな学力」の定義を『知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの』としています.

 

 私が危惧していることは,このような言語の解釈を人任せにしている先生が意外と多いということです.一例を挙げると,某市の市報に教育委員会のページがあって,「非認知能力」を紹介していたのですが,次のような紹介をしていてびっくりしました.

 

某市 市報の教育委員会のページ(一部)

 「見えない学力」=「非認知能力」と記述されていますが,英語の説明では,「However, since non-cognitive skills are often challenging to assess」と書かれており,訳すると「しかし、非認知スキルの評価は難しいことが多い」となりますので,この記述は間違いと言うことになります.教育委員会がこれでは,先が思いやられます.評価は難しいのですが,見えない訳ではありません.

 

 言語の定義は,一度,自身の指導計画に落とし込むことが重要です.それで,違和感があったら再考します.文科省や学者の定義を,そのまま飲み込む前に,何回も咀嚼することが重要だと思います.この基本姿勢を児童・生徒に植え付けてほしいと思います.自分の考えと違えば再考し,同じならば納得します.

 

 私の博論では,「将来に直面する問題を解決することが第一義」であるとして,その力を確かな学力としています.一方で文科省は,「(既に獲得した)知識や技能と非認知能力」を確かな学力と定義しました.「学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等」は,評価が難しいものもありますが,児童・生徒を見ていると分かる場合もあります.

 

 さて,ここで私の解釈と文科省の解釈ですが,どちらかが正解で・・・という議論はナンセンスと言えます.

 なぜなら文科省の提示は,知識と技能に加えて非認知能力を意識したいという意図があるので,それはそれでよろしいのではないでしょうか.

 私は,この非認知能力と考えられる部分は,1時間の授業で評価されるものではなく,単元を通してや,さらにいくつかの単元を通して評価されるべきものと見ています.

 一方で,私の博論の定義では,授業によって獲得した知識と既存の知識を結びつけることによって,さらに醸成される力が,所謂「確かな学力」としています

 そしてここには,知識を関連づける思考法を提案していることになります.つまり,以前紹介したスキーマの検索です.

 ですから,自身のスキーマを心の目で見る思考の訓練を授業中に仕組むことを推奨するものです.

 このことは,今,Amazonの教育学のカテゴリーでベストセラー1位になっている,慶応義塾大学環境情報学部教授の今井むつみ氏著の「学力喪失-認知科学による回復の道筋」でも述べられている,スキーマに関する記述と同じ意味を持っています.以下の目次を参考にされて下さい.

 

目 次 

 

 はじめに

 

第Ⅰ部 算数ができない、読解ができないという現状から

 

 第1章 小学生と中学生は算数文章題をどう解いているか

  1 算数文章題につまずく小学生

  2 小学生の算数文章題につまずく中学生

  3「意味の不理解」が引き継がれる

 第2章 大人たちの誤った認識

  1 テストと学力についての誤認識

  2 知識についての誤認識

  3 スキーマなしでは学習できない

 第3章 学びの躓きの原因を診断するためのテスト

  1 「たつじんテスト」の開発まで

  2 「たつじんテスト」は思考力を測る

  3 点数をつけるよりも大事なこと

 

第Ⅱ部 学力困難の原因を解明する

 

 第4章 数につまずく

  1 「数」はモノを数えるためにあるわけではない

  2 分数というエイリアン

  3 かけ算・割り算の意味がわからない

 第5章 読解につまずく

  1 「読める」とはどういうことか

  2 問題文を理解するための語彙が足りない

  3 単位、時間、空間のことばを理解できない

  4 行間を埋めるための推論ができない

 第6章思考につまずく

  1 認知処理の負荷に押しつぶされる

  2 状況に応じた視点の変更ができない

  3 パーツの統合ができない

  4 モニタリングと修正ができない

 

第Ⅲ部 学ぶ力と意欲の回復への道筋

 第7章学校で育てなければならない力――記号接地と学ぶ意欲

  1 生成AIと記号接地

  2 子どもはどのように記号接地しているのだろうか?

  3 アブダクション推論とブートストラッピング

  4 自走できる学び手へ

 第8章 記号接地を助けるプレイフル・ラーニング

  1 プレイフル・ラーニングの考え方

  2 時間概念の記号接地――プレイフル・ラーニングの実践1

  3 分数概念の記号接地――プレイフル・ラーニングの実践2

  4 知識を身体化できるのは学び手のみ

 終章 生成AIの時代の子どもの学びと教育

 

 今回も丁寧にお読みいただき,ありがとうございました.

教師と児童の言語コミュニケーションの課題:生成AIが映し出す授業の現実

 は,105()は,長大で久しぶりの学会発表でした.

 今回の発表は,佐賀大学の角和博名誉教授が,昨年度に中学校で「技術科」の授業をされたときに,生徒に描かせたウェビングマップの解析を任されましたので,その報告を行いました.

 このことに関して興味ある結果が出ましたので,後日,このブログでも紹介します.

 

 て今回は,前回までに示した現行授業の問題点を踏まえて整理してみます.

 

 1.児童の言語概念の問題等から

  ・一人一人の児童が持つ言語概念が異なるので,授業による新しい知識の獲得と概念化には影響がある.

  ・児童の持つ概念は様々であり,教師は授業の中で児童の誤概念を修正しながら授業を進める必要がある.

  ・児童の誤概念を修正するために,教師は発話を意識することが重要.

 2.授業構成と児童の概念構成の問題点から

  ・児童が学習内容を想起する過程が無いので,概念を再構成することが難しい

 3.児童の記憶の問題から

  ・児童の記憶はユニークであるから,誤概念の修正には独自の方法が用意される必要があるこのことは,自己調整学習の議論と関係があるかも知れない

 

 日は学会でしたが,このように教師と児童間で交わされる言語に関する問題点の指摘は皆無でした.

 さらに,授業の出来不出来をアンケートによって分析している事例がほとんどで,アンケートに関する疑義もありません.

 ご存知のように,アンケートは言語によってなされますので,言語概念との兼ね合いになります.

 つまり,授業は言語を用いて為されるので,AIに対するプロンプトエンジニアリングの問題同様に,児童・生徒の学習においては,言語の問題が重要です.

 

 こで,教師の発話する言語が,児童・生徒に上手く伝わらないことを,生成AIを児童に見立てて,簡単な実験を行ってみました.生成AIに対するプロンプトが,教師の発話と言うことになります.

 生成AIに対する描画の最初の指示は,「先生の話がよく聞き取れている日本の児童と,先生の話の内容がよく聞き取れていない日本の児童が並んでいる写真」です.

 なお,使用する生成AIは,初期値が西洋人となっているようなので,「日本の」という言語を付け足していますが,この言語が本質的な描画に影響するとは思えません.その結果が下の写真です.計8枚の画像を見ても,人間が予測する写真とのズレがあります.

 まず,「よく聞き取れている」と「よく聞き取れていない」の違いが,明確に区別されていません.また「聞き取る」という言語に対する生成AIの理解は,耳に手を当てる仕草のようです.このようなことが,教師と児童・生徒の概念の違いと考えられます.さらに,「並んでいる写真」と明確に指示したにも関わらず,そのような写真ではありません.

 度は次のプロンプトを見て下さい.

 「うなずきながら先生の話を聞いている数名の日本の児童と,先生の話がよく分からずに,首をかしげて聞いている数名の日本の児童の表情が分かるように正面から見た写真

 もうこうなると,教師側もどう表現したらよいか分かりませんね.「うなずく」や「先生の話がよく分からず」などが,AIに理解されていないように思えます.しかし,ある意味,このような児童の姿が,実際の授業でもありそうな気もします.

 回は,現行授業の問題点について整理してみました.他にも色々な問題があると思いますが,これらの問題に対する指導方略を考えていかなくてはならないということで,「博論に書かれた現行授業の問題点」の節の最後には次のようにまとめています.

 「児童が(自身の)知識を表すことができれば,自身の概念を俯瞰することにより自己の構成概念を児童自身が修正できる可能性もある.さらに,自身の考えを他の児童に説明するときに,表象した考えを提示しながら説明を行うことも可能になると考えられる.」

回は,この研究の意義や目的について紹介します.