記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

ちょっとひと休み・・・・

 みなさんは,児童・生徒が「ある概念」を持っているかどうか知りたいときは,どのようになさっていますか.

 児童・生徒が保持しているスキーマの中の「ある概念」の有無を予め知っておくと,授業がとてもしやすくなります.これまでもスキーマの重要性は,このブログでも紹介しています.

 今回は,日本産業技術教育学会九州支部で発表した内容です.

 児童・生徒が「ある概念」を持っているかをウェビングマップを利用して調査する方法について,学会発表しました.

 学会は「技術科」の学会でしたので,直接的にはこのような趣旨ではなかったのですが,ウェビングマップの利用について参考になるかと思います.

 発表の Prezi Video は,これ

prezi.com

です.

「確かな学力」の深層を探る:知識の統合と思考力の育成

 いつもお読みいただきありがとうございます.

このブログでは,現在放送大学学術リポジトリ

放送大学機関リポジトリ

の「最もアクセスされたアイテム」で10か月連続1位となっている私の博論をもとに,教育現場で役に立つ記事をお届けしています.

 なお,博論タイトルは「小学校理科教育における指導方略の研究-意味ネットワーク・モデルとその発展型を用いた知識構成-」と理科教育について述べていますが,本質的には全ての教育に通じる内容となっています.

 

 今回は,研究の意義について解説します.

 ここでは,「確かな学力」について,次のように論じています.

 「確かな学力」とは,『児童・生徒が将来の様々な困難な状況に直面した時,それらの問題を解決するためにも必ず身に付けさせなければならないもので,この学力は,獲得しそこにある知識ではなく,新たに獲得した知識を既存の知識と関連づけ概念化するプロセスを経て培われるもの』としています.

 一方で文科省は,「確かな学力」の定義を『知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの』としています.

 

 私が危惧していることは,このような言語の解釈を人任せにしている先生が意外と多いということです.一例を挙げると,某市の市報に教育委員会のページがあって,「非認知能力」を紹介していたのですが,次のような紹介をしていてびっくりしました.

 

某市 市報の教育委員会のページ(一部)

 「見えない学力」=「非認知能力」と記述されていますが,英語の説明では,「However, since non-cognitive skills are often challenging to assess」と書かれており,訳すると「しかし、非認知スキルの評価は難しいことが多い」となりますので,この記述は間違いと言うことになります.教育委員会がこれでは,先が思いやられます.評価は難しいのですが,見えない訳ではありません.

 

 言語の定義は,一度,自身の指導計画に落とし込むことが重要です.それで,違和感があったら再考します.文科省や学者の定義を,そのまま飲み込む前に,何回も咀嚼することが重要だと思います.この基本姿勢を児童・生徒に植え付けてほしいと思います.自分の考えと違えば再考し,同じならば納得します.

 

 私の博論では,「将来に直面する問題を解決することが第一義」であるとして,その力を確かな学力としています.一方で文科省は,「(既に獲得した)知識や技能と非認知能力」を確かな学力と定義しました.「学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等」は,評価が難しいものもありますが,児童・生徒を見ていると分かる場合もあります.

 

 さて,ここで私の解釈と文科省の解釈ですが,どちらかが正解で・・・という議論はナンセンスと言えます.

 なぜなら文科省の提示は,知識と技能に加えて非認知能力を意識したいという意図があるので,それはそれでよろしいのではないでしょうか.

 私は,この非認知能力と考えられる部分は,1時間の授業で評価されるものではなく,単元を通してや,さらにいくつかの単元を通して評価されるべきものと見ています.

 一方で,私の博論の定義では,授業によって獲得した知識と既存の知識を結びつけることによって,さらに醸成される力が,所謂「確かな学力」としています

 そしてここには,知識を関連づける思考法を提案していることになります.つまり,以前紹介したスキーマの検索です.

 ですから,自身のスキーマを心の目で見る思考の訓練を授業中に仕組むことを推奨するものです.

 このことは,今,Amazonの教育学のカテゴリーでベストセラー1位になっている,慶応義塾大学環境情報学部教授の今井むつみ氏著の「学力喪失-認知科学による回復の道筋」でも述べられている,スキーマに関する記述と同じ意味を持っています.以下の目次を参考にされて下さい.

 

目 次 

 

 はじめに

 

第Ⅰ部 算数ができない、読解ができないという現状から

 

 第1章 小学生と中学生は算数文章題をどう解いているか

  1 算数文章題につまずく小学生

  2 小学生の算数文章題につまずく中学生

  3「意味の不理解」が引き継がれる

 第2章 大人たちの誤った認識

  1 テストと学力についての誤認識

  2 知識についての誤認識

  3 スキーマなしでは学習できない

 第3章 学びの躓きの原因を診断するためのテスト

  1 「たつじんテスト」の開発まで

  2 「たつじんテスト」は思考力を測る

  3 点数をつけるよりも大事なこと

 

第Ⅱ部 学力困難の原因を解明する

 

 第4章 数につまずく

  1 「数」はモノを数えるためにあるわけではない

  2 分数というエイリアン

  3 かけ算・割り算の意味がわからない

 第5章 読解につまずく

  1 「読める」とはどういうことか

  2 問題文を理解するための語彙が足りない

  3 単位、時間、空間のことばを理解できない

  4 行間を埋めるための推論ができない

 第6章思考につまずく

  1 認知処理の負荷に押しつぶされる

  2 状況に応じた視点の変更ができない

  3 パーツの統合ができない

  4 モニタリングと修正ができない

 

第Ⅲ部 学ぶ力と意欲の回復への道筋

 第7章学校で育てなければならない力――記号接地と学ぶ意欲

  1 生成AIと記号接地

  2 子どもはどのように記号接地しているのだろうか?

  3 アブダクション推論とブートストラッピング

  4 自走できる学び手へ

 第8章 記号接地を助けるプレイフル・ラーニング

  1 プレイフル・ラーニングの考え方

  2 時間概念の記号接地――プレイフル・ラーニングの実践1

  3 分数概念の記号接地――プレイフル・ラーニングの実践2

  4 知識を身体化できるのは学び手のみ

 終章 生成AIの時代の子どもの学びと教育

 

 今回も丁寧にお読みいただき,ありがとうございました.

教師と児童の言語コミュニケーションの課題:生成AIが映し出す授業の現実

 は,105()は,長大で久しぶりの学会発表でした.

 今回の発表は,佐賀大学の角和博名誉教授が,昨年度に中学校で「技術科」の授業をされたときに,生徒に描かせたウェビングマップの解析を任されましたので,その報告を行いました.

 このことに関して興味ある結果が出ましたので,後日,このブログでも紹介します.

 

 て今回は,前回までに示した現行授業の問題点を踏まえて整理してみます.

 

 1.児童の言語概念の問題等から

  ・一人一人の児童が持つ言語概念が異なるので,授業による新しい知識の獲得と概念化には影響がある.

  ・児童の持つ概念は様々であり,教師は授業の中で児童の誤概念を修正しながら授業を進める必要がある.

  ・児童の誤概念を修正するために,教師は発話を意識することが重要.

 2.授業構成と児童の概念構成の問題点から

  ・児童が学習内容を想起する過程が無いので,概念を再構成することが難しい

 3.児童の記憶の問題から

  ・児童の記憶はユニークであるから,誤概念の修正には独自の方法が用意される必要があるこのことは,自己調整学習の議論と関係があるかも知れない

 

 日は学会でしたが,このように教師と児童間で交わされる言語に関する問題点の指摘は皆無でした.

 さらに,授業の出来不出来をアンケートによって分析している事例がほとんどで,アンケートに関する疑義もありません.

 ご存知のように,アンケートは言語によってなされますので,言語概念との兼ね合いになります.

 つまり,授業は言語を用いて為されるので,AIに対するプロンプトエンジニアリングの問題同様に,児童・生徒の学習においては,言語の問題が重要です.

 

 こで,教師の発話する言語が,児童・生徒に上手く伝わらないことを,生成AIを児童に見立てて,簡単な実験を行ってみました.生成AIに対するプロンプトが,教師の発話と言うことになります.

 生成AIに対する描画の最初の指示は,「先生の話がよく聞き取れている日本の児童と,先生の話の内容がよく聞き取れていない日本の児童が並んでいる写真」です.

 なお,使用する生成AIは,初期値が西洋人となっているようなので,「日本の」という言語を付け足していますが,この言語が本質的な描画に影響するとは思えません.その結果が下の写真です.計8枚の画像を見ても,人間が予測する写真とのズレがあります.

 まず,「よく聞き取れている」と「よく聞き取れていない」の違いが,明確に区別されていません.また「聞き取る」という言語に対する生成AIの理解は,耳に手を当てる仕草のようです.このようなことが,教師と児童・生徒の概念の違いと考えられます.さらに,「並んでいる写真」と明確に指示したにも関わらず,そのような写真ではありません.

 度は次のプロンプトを見て下さい.

 「うなずきながら先生の話を聞いている数名の日本の児童と,先生の話がよく分からずに,首をかしげて聞いている数名の日本の児童の表情が分かるように正面から見た写真

 もうこうなると,教師側もどう表現したらよいか分かりませんね.「うなずく」や「先生の話がよく分からず」などが,AIに理解されていないように思えます.しかし,ある意味,このような児童の姿が,実際の授業でもありそうな気もします.

 回は,現行授業の問題点について整理してみました.他にも色々な問題があると思いますが,これらの問題に対する指導方略を考えていかなくてはならないということで,「博論に書かれた現行授業の問題点」の節の最後には次のようにまとめています.

 「児童が(自身の)知識を表すことができれば,自身の概念を俯瞰することにより自己の構成概念を児童自身が修正できる可能性もある.さらに,自身の考えを他の児童に説明するときに,表象した考えを提示しながら説明を行うことも可能になると考えられる.」

回は,この研究の意義や目的について紹介します.

知識のブラックボックスを覗く:授業と児童の脳内モデル

 「暑さ寒さも彼岸まで」・・・・最近,朝晩,少しずつ気温が下がって,ひんやりする空気を感じるようになりました.

 朝の530分.早朝ジムに通うために車に乗りましたが,温度計の値は17℃.さすがに久々の寒さを感じました.

 

 て,今回は,私が博論に挙げた一般的な現行授業の問題点の3つ目です.

 

 それは「授業により構成された児童の概念」の問題です.(博論p16)

 

 題点(3) 児童・生徒が,テストで同じように回答しても,学習で獲得した知識などの内容は,長期記憶に同じようには保存されていない.

 

 ある意味ここが核心と言えるのですが,授業を経て獲得した知識が概念化するというプロセスを考えてみました.(このことに関しては,このブログでも既に記事にしているものもあります)

 

 つて私は,「授業中に児童・生徒が理解する(分かる)」ということに対して,あまりにもいい加減でした.

 例えば「~をすれば,学習者は理解する」や「〇〇を使うと,学習者は理解する」と,校長や指導主事などの偉い人や,文科省関係者や名の知れた学者などメディアによく出現する人に言われて,その言葉を信じていました.

 あるいは,信じていなくても校内研究で取り上げられ,無理やりそんな流れになってしまった,などの経験もあります.

 

 かし,そのような方法で実践しても,「テストの成績が上がらなかった」「成績が上がったかどうかは不明」などの経験が意外と多かったようです.

 

 また,「その実践には教員としてのスキルが要る」「簡単には実践できない」,下の図のように「前日,遅くまで準備してやっと授業にこぎつけた」など負担が伴いました.

 

 際,それらの方法を推進している人たちは,実践するにはどれだけ面倒であるかは分かっているのですが,絶対に言いません.

 

 私も,かつて教育センターの研究員だったときには,「こんな面倒なスキルを,先生方が身に着けることは不可能」と考えていながら,業務でしたのでパソコンの講座を行っていました.

 

 その当時(CAIの時代)は,コンピュータを使った45分や50分の授業を構成するための教材づくりに必要な時間は100時間と言われていました.

 それでも講座は,数年間は続いていました.

 

 がそれましたので,戻します.

 児童・生徒が,又は教師自身が,何かを「理解する」や「分かる」を,どんなイメージで考えればよいでしょうか.

 

 当然ながら,それは脳内の事ですが,我々が生物学的に脳内をイメージしても解決しません.

 ただ,脳内に約千数百億個ある神経細胞に記憶が保管されていることは事実です.

 

 神経細胞のつながりに事柄が記憶され,そのつながりに電気信号が流れて思い出します.しかし,その事をイメージしても,教育現場ではあまり役に立つことはありません.

 

 かし,この事実を踏まえて考えると,神経細胞のつながりが重要であることは分かります.電気信号が流れるためには,回路になっていなくてはなりません.つまり,神経細胞のつながりがイメージされ,それはリンクしていることが重要であることが分かります.すると,ノード・リンク構造として議論しても構わない訳です.むしろその方が,先生方には分かり易いと言えます.

 

 そこで,Collins(コリンズ) と Quillian(キリアン)による意味ネットワーク・モデルをもとにして,児童・生徒の「理解する」や「分かる」の知識モデルを考えれば,これまでいい加減だった「分かる」や「理解する」の脳内イメージが可視化されて,それらが教師の目の前に現れると考えたのです.

 

 つまり,指導者である教師が,児童・生徒が「分かる」や「理解する」とは,彼らの脳内がどのような状態になったときかを想像できるようになるのです

 

 してここで私が挙げた現行授業の問題点は,児童・生徒の知識モデルは,独特でありユニークであるということです.

 それは,テストで100点を取ったからと言って,その学習者たちが,同じように記憶している訳ではないということです.

 

 まり教師は,意味ネットワーク・モデルを適切に授業に利用することで,児童・生徒一人一人の授業に関する脳内イメージを把握することができるということになります. 

児童・生徒の「なるほど」を育むために:概念形成と自己確認の重要性

 い~,地球が逆方向に公転し始めたかのような夏再来・・・・・・.

 学校も暑くて,大変でしょうね.私が理科専科をしていた2年前は,特別教室にはエアコンが設置してなかったので暑くて授業がやりにくかったことを思い出します.

 

 そう言えば,私の大学院である放送大学リポジトリ2日程利用できなかったのですが,アクセスランキングやダウンロードランキングの直近1年間の集計値が,正確に表示されるようになりました.

https://ouj.repo.nii.ac.jp/items/ranking

 

 このブログで利用している博論は,2023.11から9か月連続でアクセスランキング1位となっています.アメリカをはじめ世界中からのアクセスが確認されています.

 詳しくご覧になりたい方は,上のリンクからご確認下さい.

 

 まぁ,論文なんで,youtubeなどのアクセス数とは単純に比較はできませんが,評判は悪くはないようですね.ダウンロード数も,直近1年間の数で2115となっていますが,2018年から通算すると3415のようです.

 

 て,今回も,「学習者の概念形成における一般的な現行授業の問題点」の続きです.

 私は,2つ目の問題点として,「学習指導過程における児童・生徒の概念形成の問題」を取り上げて論述しています.(p15)

 

 問題点(2) 現在の学校教育の指導システムでは,児童・生徒が自己の概念を確認し再構築することはほとんどない.

 児童・生徒が学びを経験して,自身がどのように理解しているかなどを確認する学習行動が,現在の指導システムでは設定されていない.

 

 ここで指摘したのは,学習者には授業内容の意味や得られた結論の吟味をする時間が必ず必要だということです.

 

 児童・生徒は,授業の学習行動を経て何かを理解していきます.この理解に際して,おそらくは「納得」という心的過程があるはずです.この納得は,自分が考えたことに「それでよい」と,考える学習行動に区切りをつけることです.博論では,「内なる納得」と呼んでいます.

 

 そこで先生方にお尋ねしたいのですが,児童・生徒は,授業のどのタイミングで先生のご指導される内容を理解するとお考えになって授業をなさっていますか.

 

 別の言い方をすると,児童・生徒は授業のどこで「なるほど」と感じたり,「やっぱり」と思ったり,「自分の考えは間違いない」と自信を持ったりしているのでしょうか.

 

 例えば,児童や生徒同士の話し合いの中で・・・だったり,

 

授業の終わり頃のまとめを行うタイミングで・・・だったり,

 

あるいは穴埋め式のノートに自分が答えと思う言語を記入する中で・・・だったり,

 

あるいは,授業の感想を書く中で・・・だったりと様々ですね.

 

 ひよっとすると,「教えることに一生懸命で,そのようなことは考えたことはありません」と仰るかも知れません.実際,過去にそのように言われた先生もおられました.

 

 しかし,是非とも,児童・生徒が授業の意味を分かり,全員で頑張ってまとめた内容が理解できるような時間を用意してあげて欲しいと思います.(これは,授業ごとにです)

 

 の写真は,生成AIに作らせたものです.

 

思考する児童たち

 いったい何をしているところかは,お分かりになると思います.

 

 ノートを開き,鉛筆を持ったままノートを見たり(右上),ノートから目を離して,ある一点を見たり(残り5枚)しています.これは,自分一人で思考する姿です.

 

 ちなみにAIに指示したプロンプトは,「教室の椅子に座り,ノートに考えを書いたり,自分の考えを直視したりしながら,雑念を排して集中して思考する日本人の児童」でした.

 

 AIは,このプロンプトによって,これらの写真を生成しました.

 と言うことは,「椅子に座りやノートに書く」というプロンプトを除けば,「自分の考えを直視し,雑念を排して集中して思考する」というプロンプトの結果が,彼らの視線と表情であると考えられます.皆さんも思考する時には,空(くう)を見つめることはありませんか.

 

 このように思考する場合,一人ひとりが必ず自身の知識を利用する必要があります.獲得した知識から概念形成を行うためには,何度もこの知識を記憶想起し再度吟味する必要があるのです.

 

 しかし冒頭でも述べましたが,現在の学校教育の指導システムでは,児童・生徒が自己の概念を確認し再構築することはほとんどありません.ですから単元の学習後には,児童・生徒が記憶想起を行う場面を設定することをお勧めします

 

言語の壁が阻む学び:概念形成における教師と児童のズレ

 9月になり,朝晩は少し涼しさを感じるようになりました.

 さて,今回からは,私の博論を紐解いていきながら,最終的には記憶の再生(想起)が学力向上に重要であることを示していきたいと思います

 ちなみに,博士論文では,その性格上,世界で誰も書いたことが無い唯一無二の内容を記述しています.つまり,これまで,誰も論文にしたことのない実践と言うことになります.

 

 回は,「学習者の概念形成における一般的な現行授業の問題点」についてです.

 前回紹介した佐賀新聞の記事によれば,佐賀県教育委員会は県学力向上対策検証・改善委員会で,小・中学校共に「考察して意見を説明する力に課題がある」と問題点を割り出しています.

 新聞記者が書いた内容によれば,この委員会で話し合われた改善策は,「授業以外の活動でも,児童・生徒が主体的に考えて取り組む必要性」を確認するということらしいです.話し合いの記録を読んでいないので何とも言えませんが,「授業によっては,育成できなかったので,他の場面でもやってみよう」ということでしょうか.しかし,先生方もお分かりのように,これは解決策ではありません

 

 少なくとも,「考察することができなかった」,「意見にまとめることができなかった」,「説明することができなかった」と3つの弱点が浮かび上がっている訳です.これらに対して,どのような改善策が考えられたのでしょうか.

 

 間の社会生活は,コミュニケーション,すなわち情報のやり取りで成り立っています.学校教育も例外ではありません.それならば,その視点で話し合いをすべきでした.

 私の博論では,学習者の概念形成における一般的な現行授業の問題点の第一歩として,「人間が持つ言葉の概念」の問題を取り上げています.(p14)

 

 題点(1) 教師の言語概念と児童・生徒の言語概念が違うと,コミュニケーションは成立しづらい.

 教師は,自身の言語概念を児童・生徒が獲得していると思って発話するが,児童・生徒がその言語概念を持っていない場合は,それ以降の授業による学習内容の概念形成を阻む要因となる.

 

 教師は,自分の話す言語を児童・生徒が理解すると考えて発話します.

 

 しかし,児童・生徒のスキーマは教師のそれと異なるために,場合によっては教師の発話内容が伝わらないことも考えられます.

 

 従って,教師は児童の表情や反応により発話内容を変えたり,ジェスチャーを用いたりしながらコミュニケーションを図る必要が生じます.

 

 の体験ですが理科の授業で,食塩や砂糖などを水に溶かす学習があります.

 

 私が「とける」という言語の意味を児童に尋ねた時,5年生の約8の児童が,「アイスクリームがとける」,「ろうそくがとける」,「チョコレートやチーズがとける」など融解(ゆうかい)のイメージで理解していたことがありました.

 

 

 しかし授業の内容は,食塩や砂糖などを水に溶かす実験を行う溶解(ようかい)であったために,言語と概念の整理を行ってから単元の内容に入った経験があります.

 後で聞いたのですが,児童たちの中には,食塩や砂糖などを水に溶かすという経験をしたことが無い子が,かなりいました.そういえば,家庭でジュースを飲む場合,昔は水にジュースの粉を溶かしていましたね.

 

 

回は,第2の問題点についてお話します.

なぜ佐賀県の学力低下の原因が家庭学習に?~記憶の視点から考える~

 夏休みも終わり,2学期や1学期(前期)後半が始まった学校も多いと思います.

 

 もともとこんな話題になったのは,繰り返しになりますが,今春の学習状況調査で低迷した結果の原因を佐賀県教育委員会が,「家庭学習の時間が短くなった」ことを理由としていることから一県民としては,それはいくら何でも言い訳として恥ずかしいと考えたからでした.

AIによって作成されたイメージ.実際の写真ではありません.

 

 このような県の対応に対して,メディアの代表格である地方紙は事実を伝えただけで,批判的な記事など皆無で失望感だけが残りました.

 

 佐賀県の場合,ここ数年の報道を調べても,この理由を挙げることが比較的多くなっています.学力向上対策委員会などのメンバーを見ても役職ありきの人選で,話し合いに現場の声が届かずに実のある話し合いになっておらず,毎回同じ内容を出しているようです. 

 

 しかしながら他県は,同様の結果であっても,家庭学習にその原因を求めてはいません.何ともうらやましいことです.

 

AIによって作成されたイメージ.実際の写真ではありません.

 このようなジレンマから,先の2つのキャンディーズのコンサートの例を紹介し,それらの記憶の形成が,そのときのエピソードが心に深い情動を呼び起こしたかどうかと関係があることを説明しました.学習も経験ですから同様です.

 

 つまり1978年のファイナルカーニバルは,たった一度の経験が概念化し,以後,記憶想起が自由にできる状態にまでなったと考えられます.

 概念化が進むと,その経験した内容に意味を付加できるようになります.つまり,他者と議論することができるようになります.

 

 学校の先生が最も注目することは,「どのように指導したら,児童・生徒が学習内容を理解してくれるか」ということであろうと思います.

 

 県の学力向上対策委員会では,ここのところの解を誰も持っていなかったようです.ですから,児童・生徒への質問紙の結果に注目し,毎回のように家庭教育が学力低下の原因にされています.

 

 児童・生徒が学習したのに学習内容を概念化できなかったり,たとえ概念化できたとしても正しく記憶できなかったりした原因は,本来ならば教育委員会内部でもっと議論されなくてはなりません.

 

 しかし,指導主事等の業務は多忙であり,学術論文を読んだり書いたりする余裕などなく,文科省の政策の伝達こそできますが,認知科学や心理学,脳科学等々を含めたアカデミックな議論には慣れていません.指導主事等の人選やその能力についても,考えるべきだったかも知れません.

 

 私は,教職に就いて8年目に教育センターの研究員に任命されたとき,強烈な違和感に包まれたことを今でも思い出します.赴任初日,上司から「ここに来た時から,もう指導者であり専門家です.」と言われ,自分はそのような人間ではないと心では否定していました.

 

 その後,長い教職経験を経て,幸いにも現職で大学院に入ることができ,学位を取得することができました.

 

 何のために学位を取るのかは,人それぞれですが,例えば大学等の教員になるために学位取得する人は沢山います.私は,年齢的な問題もあり,就職への執着心はそれほどでもなかったです.

 

 それよりも,論文の執筆に異常なまでに執着し,書いた結果として学位を得たという感じです.この論文は長年に渡って,小学校や中学校の教員として児童・生徒の傍で,彼らの様子を観察したり会話したりして得た知見と疑問,実践をまとめたもので,教職経験の長さ故の論文になりました.

 

 従って,若い教員が学位欲しさに簡単に書けるものではないと思っています.逆に,長い経験を経た教員ならば,何らかの貴重な知見を持っているはずで,それらをまとめることで,立派な論文が書けると信じています.

 しかし,このような長い経験から得られた知見は,教員の退職と共に消えてしまっているのが現状ではないでしょうか.

 

 私が教育センターの研究員として,1990年代に佐賀県教育情報システム「EDU-QUAKE さが」の構築を目指していたとき,「知恵の交流」という考え方でネットワーク上に教員の知恵を共有するワークショップを立ち上げる構想がありました.

 

 結局,本格的な運用には至りませんでしたが,現場の教員は経験の長短に関係なく知恵を持っています.それらをどのように表出させ,生かしていくかについて考えるところが教育委員会の仕事でもあると考えます.

 

 今朝(27日)の地方紙に関係のある記事が掲載されました.教育委員会が検証・改善委員会を開催したということです.記事を読みましたが,どのように改善するかなどの具体的な方策までは考えに至っていないと感じました.今後も委員会を予定しているようなので,注目したいと思います.

https://drive.google.com/file/d/1SYNnw2csuRTEsx5KhmmzPIZs3DhrfI7L/view?usp=sharing

 

 さて,このブログでは,次回から私の博論から学力向上に関する「記憶を再生すること」の重要性を示していきます.

 

 ここで,大学の卒業論文(無い大学もあります),大学院の修士論文,博士論文の違いを分かり易く説明します.これは,私が放送大学の博士課程に入ったときに,今の学長である岩永雅也先生がおっしゃった内容です.

 

 先生は,料理になぞらえて説明されました.

 卒業論文は,レシピを見て料理するようなもの.

 

 ②修士論文は,ある料理・・・例えば「ラーメン」「鍋」など・・・・のレシピを考えるようなもの.

 

 ③博士論文は,料理自体を新たに考えるようなもの.

 

 と言うことは,博士論文に書かれている内容は,唯一無二である必要があります.

 

 そこで,810日付のブログで,「記憶想起が学習に良い影響を及ぼす理由や,概念化や正しく記憶することについて,現在,放送大学学術リポジトリのアクセスで連続8か月1位,ダウンロードもつい最近1位となった私の博論の記述などをもとに紹介することを予告していました.アクセスはついに連続9か月1位となりました.

 

 博論を直接読んで頂いてもよろしいのですが,結構時間もかかるし,分かりづらいかも知れません.ですから,書いた本人が,優しく解説していきたいと思います.

 すると学力向上で,どのようなことに留意することが重要かお解りいただけると思います.どうぞ宜しくお願いいたします.

記憶想起について⓪の2

 前回の内容は,キャンディーズファイナルカーニバルのチケットを紹介しましたので,結構アクセスが多くて感謝しております.55,000枚のチケットの何%が現存しているか気になるところです.

 

 次に,1975826()午後630分 ~です.・・・・が,訂正です.

 1976826()午後630分 ~でした~.失礼しました・・・・(^^;)

 

 もうすでに,記憶が曖昧になっています・・・・.

 

 なぜなら・・・・

 

48年前の「サマージャック '76」のチケット

 チケットには,何年かが書かれていなかったからです.

 これも私の所有です.(^^)

 しかし,スタッフのもぎりが雑ですね.

 

 調べましたら,「サマージャック'76」と言うタイトルで各地の会場で行われたようです.

 

コンサート一覧 - PukiWiki (ransuemiki.com)

 

 ちなみに,8/25()長崎市公会堂27()福岡市民会館28()下関文化会館と毎日コンサートづけの日々だったようですね・・・お疲れ様(^^)

 

 この中で福岡市民会館のチケットも,このチケットと同じデザインでした.

 

 で,何で武雄にキャンディーズが来たか推測すると,武雄市文化会館が昭和503月に竣工し,当時,佐賀県の中では一番新しいコンサート会場だったことから選ばれたようです.

 

 この会場も,もうすぐ築50年ですから一部取り壊されています.

 

 ところが,このコンサートですが,ほとんどコンサートの内容は記憶に残っていません.

 

 記憶していることと言えば,入場前に並んでいた時に,生徒指導に来た前年度の担任の荒川先生が私を見つけて「こんなところで観ている暇はないだろう.帰れ.」と言ったことが一つ.

 

 

 それと,カメラを会場内に持ち込むために,私が先に入場して友達がトイレの外から窓越しにカメラを渡し,手荷物検査をスルーしたこと.

・・・時効だけど・・・・・謝罪・・・(^^;)

 

 

 更に,キャンディーズのコンサートの最中に,友達がカメラで撮影をしたらフラッシュが発光して,係員の人がやって来たのですが,カメラを持ち込んだ他の生徒が捕まったことくらいです.

 

 なぜ,このコンサートの記憶が無いのでしょうか.

 

 このコンサートは,1976年,ファイナルカーニバルは1978年.

 2年後だから新しいので,よく記憶していたのでしょうか?

 

 いや,そうではありません.

 

 記憶想起する場合,現在と2年前でしたら2年間の差は大きいかもしれませんが,40年以上も前の2年間の差は関係ありません.

 

 ではなぜ,このコンサートの事はあまり記憶に残ってなかったかと言えば,まだキャンディーズのファンではなかったからです.

 とりあえず,キャンディーズという3人組が,高校のそばの武雄市文化会館に来るので観に来ただけでした.

 

 ですから,コンサートを観ても情動が呼び起されずに,記憶に残ることもなかったということです.

 よく教育分野でも興味・関心と言いますが,このようなことも興味・関心の薄さ故の結果と言えます.

 

記憶想起について⓪の1

 お盆です.お盆になると,地方では車の数が増えてきます.ナンバーも,見慣れない地名がちらほらと・・・.

 

 さて,前回の日付のことですが,「197844() 午後517分 ~ 午後917分」は,とても有名な出来事で,多くの人が記憶しているイベントがこれです.

 

 

46年前のキャンディーズファイナルカーニバル チケット(金額の表示がありません)

 これは,私のチケットです.ということは,キャンディーズのファイナルカーニバルに参加した~ということです.

 

 このブログは,記憶の再生について考えているので,訳もなくこのチケットを出したわけではありません.

 

 このファイナルカーニバルに参加した私は,その日のことをかなり記憶しています.そのいくつかを紹介します.

 

 例えば,当時大学2年生だった私が,このチケットを手に入れたきっかけは,ラジオ番組「オールナイトニッポン」です.

 ある日の深夜に,この番組を聞いていたら,パーソナリティがキャンディーズの解散コンサートのことを話し始めて,かなりのファンだった私は,思わず聞き入ってしまいました.

 しばらくすると話は,チケットの事になり,「欲しい人は・・・・」と,応募方法を早口でしゃべったので,宛名を書き留めることに苦労したことを覚えています.

 翌日,4,000(だったような)キャンディーズのイラストを自筆したチケット返信用封筒を現金書留に入れて投函しました.

 どの位経ったのかは覚えていませんが,返信用封筒にチケットが1枚入れられて下宿先に送られてきました.

 

チケットを取り扱った方の話が

note.com

にあります.

 

 それによると,55千人の募集に対して10万人が応募したとのことで,約2倍の倍率だったようです.

 今のようにインターネットやスマホもない時代でしたので,チケットの取り方なども受け身状態でした.

 私は幸いにも,たまたま聴いていたラジオから情報が流れたということです.

 

 さて,佐賀県の田舎からから東京ですので,所謂お上りさん状態で,お袋も東京に行きたいと言うので,親孝行も兼ねて(?)二人で,夜行列車の「さくら」で上京しました.

 

 東京駅からは,後楽園球場の近くまでは,タクシーだったような気がします.

 お袋は旅館で,私だけが歩いて後楽園球場に行きましたが人の数が尋常ではなく,入口近くにはグッズショップがオープンしていました.

 

 その店で,キャンディーズのイラストが描かれていたトレーナーを購入して,13番入り口から入りました.1F252番は3塁側のスタンドでした.

 

 すでに,同じトレーナーを着たファンらが,始まる前から興奮状態で,隣同士はすぐに打ち解けて叫んでいました.

チケットの裏面には3人の素敵な写真

 このファイナルカーニバルは,後にビデオテープやレーザーディスクDVDとして販売されましたが,実際に現場にいた人しか知らないことがあります.

 

 例えば,午後5時の開演が17分も延びて,ずいぶんと待たされたこともその一つです.MMPの演奏が始まって,発煙筒を手にした3人が登場しましたが,ミキちゃんの煙が結構早い段階で出なくなり残念な気持ちになったのも覚えています.

 

 3人が手を振りながらステージ下に消えてカーニバルが終わったのが午後917分でしたが,それから10分間ほどは,ファンは「アンコール」を信じて叫び続けていました.

 

 しかし,突然MMPの「キャンディーズは,もうここにはいません.」というアナウンスで,我に返りました.

 

 他にもありますが,この位にして・・・・,46年前の出来事ですが,このように記憶にしっかりと刻まれています.カーニバルの映像は,記憶想起すると今でも鮮明です. 

 

 なぜでしょうか.

 

 それは,ファイナルカーニバルが,私の心に深い情動を呼び起こしたからです.それと,このチケットは,いつも財布に入っており,見ると当時の様子が自然と想起されるからです.(続く)

記憶想起について⓪

 家を出るとむっとする暑さを感じますが,それでも立秋を過ぎました.暑さはまだまだ,これからもっと酷くなるような,そんな空気感です.

 

 さて,前回(ちょっとひと休み)では,平均値を下回った学習状況調査の結果に対するメディア取材に,家庭学習の時間が減ったことを原因のように答えた佐賀県教育委員会の新聞記事を紹介しました.このような回答をしたのは,佐賀県だけでした.

 

 学習状況調査の値が平均値を下回ったのは,児童・生徒が学習内容を概念化できなかったことと,概念化できたとしても正しく記憶できなかったからです.

 

 本文に入る前に,つい最近嬉しい報告があったので紹介します.

 お知らせ頂いたのは,現職の中学校の先生です.先日,大学の研究室で作業をしていたとき,用事で来られた際に,次のようにおっしゃいました.

 

 「先生(私の事),平均点が5点上がりました.先生から教えてもらった方法で授業をしたら,5点上がりました.」

 「えっ,記憶再生マップで授業をしたのですか.」

 「はい」

 

 この先生は,中学校の技術科の先生です.詳しくはお聞きしませんでしたが,期末テストだったのかも知れませんが,平均点が5点上がるのは大変喜ばしいことです.まぁ,私は小学校の理科で,それこそ何度でも同様の事を経験しましたので,当然だろうと思っていましたが,教科と年齢が異なる場合でも,同様の結果が出たということで嬉しく思います.この結果は,後期の授業で検討させて頂きます.

 

 さて,これからの連載は,記憶想起が学習に良い影響を及ぼす理由や,概念化や正しく記憶することについて,現在,放送大学学術リポジトリのアクセスで連続8か月1位,つい最近ダウンロード1位となった私の博論の記述などをもとに紹介します.

 

 そうは言いつつも,最初は軽く私の記憶にお付き合い下さい.

 ①1975826()午後630分 ~

 ②197844() 午後517分 ~ 午後917

 この日付でピンとくる方は,〇〇〇〇〇〇〇が好きな方かも知れません.

 49年前と46年前の出来事です.

 この2つの出来事ならば,1978年の方が明らかに広く知られています.

 (続く)