記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

記憶想起について⓪の1

 お盆です.お盆になると,地方では車の数が増えてきます.ナンバーも,見慣れない地名がちらほらと・・・.

 

 さて,前回の日付のことですが,「197844() 午後517分 ~ 午後917分」は,とても有名な出来事で,多くの人が記憶しているイベントがこれです.

 

 

46年前のキャンディーズファイナルカーニバル チケット(金額の表示がありません)

 これは,私のチケットです.ということは,キャンディーズのファイナルカーニバルに参加した~ということです.

 

 このブログは,記憶の再生について考えているので,訳もなくこのチケットを出したわけではありません.

 

 このファイナルカーニバルに参加した私は,その日のことをかなり記憶しています.そのいくつかを紹介します.

 

 例えば,当時大学2年生だった私が,このチケットを手に入れたきっかけは,ラジオ番組「オールナイトニッポン」です.

 ある日の深夜に,この番組を聞いていたら,パーソナリティがキャンディーズの解散コンサートのことを話し始めて,かなりのファンだった私は,思わず聞き入ってしまいました.

 しばらくすると話は,チケットの事になり,「欲しい人は・・・・」と,応募方法を早口でしゃべったので,宛名を書き留めることに苦労したことを覚えています.

 翌日,4,000(だったような)キャンディーズのイラストを自筆したチケット返信用封筒を現金書留に入れて投函しました.

 どの位経ったのかは覚えていませんが,返信用封筒にチケットが1枚入れられて下宿先に送られてきました.

 

チケットを取り扱った方の話が

note.com

にあります.

 

 それによると,55千人の募集に対して10万人が応募したとのことで,約2倍の倍率だったようです.

 今のようにインターネットやスマホもない時代でしたので,チケットの取り方なども受け身状態でした.

 私は幸いにも,たまたま聴いていたラジオから情報が流れたということです.

 

 さて,佐賀県の田舎からから東京ですので,所謂お上りさん状態で,お袋も東京に行きたいと言うので,親孝行も兼ねて(?)二人で,夜行列車の「さくら」で上京しました.

 

 東京駅からは,後楽園球場の近くまでは,タクシーだったような気がします.

 お袋は旅館で,私だけが歩いて後楽園球場に行きましたが人の数が尋常ではなく,入口近くにはグッズショップがオープンしていました.

 

 その店で,キャンディーズのイラストが描かれていたトレーナーを購入して,13番入り口から入りました.1F252番は3塁側のスタンドでした.

 

 すでに,同じトレーナーを着たファンらが,始まる前から興奮状態で,隣同士はすぐに打ち解けて叫んでいました.

チケットの裏面には3人の素敵な写真

 このファイナルカーニバルは,後にビデオテープやレーザーディスクDVDとして販売されましたが,実際に現場にいた人しか知らないことがあります.

 

 例えば,午後5時の開演が17分も延びて,ずいぶんと待たされたこともその一つです.MMPの演奏が始まって,発煙筒を手にした3人が登場しましたが,ミキちゃんの煙が結構早い段階で出なくなり残念な気持ちになったのも覚えています.

 

 3人が手を振りながらステージ下に消えてカーニバルが終わったのが午後917分でしたが,それから10分間ほどは,ファンは「アンコール」を信じて叫び続けていました.

 

 しかし,突然MMPの「キャンディーズは,もうここにはいません.」というアナウンスで,我に返りました.

 

 他にもありますが,この位にして・・・・,46年前の出来事ですが,このように記憶にしっかりと刻まれています.カーニバルの映像は,記憶想起すると今でも鮮明です. 

 

 なぜでしょうか.

 

 それは,ファイナルカーニバルが,私の心に深い情動を呼び起こしたからです.それと,このチケットは,いつも財布に入っており,見ると当時の様子が自然と想起されるからです.(続く)