「暑さ寒さも彼岸まで」・・・・最近,朝晩,少しずつ気温が下がって,ひんやりとする空気を感じるようになりました.
朝の5時30分.早朝ジムに通うために車に乗りましたが,温度計の値は17℃.さすがに久々の寒さを感じました.
さて,今回は,私が博論に挙げた一般的な現行授業の問題点の3つ目です.
それは「授業により構成された児童の概念」の問題です.(博論p16)
問題点(3) 児童・生徒が,テストで同じように回答しても,学習で獲得した知識などの内容は,長期記憶に同じようには保存されていない.
ある意味ここが核心と言えるのですが,授業を経て獲得した知識が概念化するというプロセスを考えてみました.(このことに関しては,このブログでも既に記事にしているものもあります)
かつて私は,「授業中に児童・生徒が理解する(分かる)」ということに対して,あまりにもいい加減でした.
例えば「~をすれば,学習者は理解する」や「〇〇を使うと,学習者は理解する」と,校長や指導主事などの偉い人や,文科省関係者や名の知れた学者などメディアによく出現する人に言われて,その言葉を信じていました.
あるいは,信じていなくても校内研究で取り上げられ,無理やりそんな流れになってしまった,などの経験もあります.
しかし,そのような方法で実践しても,「テストの成績が上がらなかった」や「成績が上がったかどうかは不明」などの経験が意外と多かったようです.
また,「その実践には教員としてのスキルが要る」や「簡単には実践できない」,下の図のように「前日,遅くまで準備してやっと授業にこぎつけた」など負担が伴いました.
実際,それらの方法を推進している人たちは,実践するにはどれだけ面倒であるかは分かっているのですが,絶対に言いません.
私も,かつて教育センターの研究員だったときには,「こんな面倒なスキルを,先生方が身に着けることは不可能」と考えていながら,業務でしたのでパソコンの講座を行っていました.
その当時(CAIの時代)は,コンピュータを使った45分や50分の授業を構成するための教材づくりに必要な時間は100時間と言われていました.
それでも講座は,数年間は続いていました.
話がそれましたので,戻します.
児童・生徒が,又は教師自身が,何かを「理解する」や「分かる」を,どんなイメージで考えればよいでしょうか.
当然ながら,それは脳内の事ですが,我々が生物学的に脳内をイメージしても解決しません.
ただ,脳内に約千数百億個ある神経細胞に記憶が保管されていることは事実です.
神経細胞のつながりに事柄が記憶され,そのつながりに電気信号が流れて思い出します.しかし,その事をイメージしても,教育現場ではあまり役に立つことはありません.
しかし,この事実を踏まえて考えると,神経細胞のつながりが重要であることは分かります.電気信号が流れるためには,回路になっていなくてはなりません.つまり,神経細胞のつながりがイメージされ,それはリンクしていることが重要であることが分かります.すると,ノード・リンク構造として議論しても構わない訳です.むしろその方が,先生方には分かり易いと言えます.
そこで,Collins(コリンズ) と Quillian(キリアン)による意味ネットワーク・モデルをもとにして,児童・生徒の「理解する」や「分かる」の知識モデルを考えれば,これまでいい加減だった「分かる」や「理解する」の脳内イメージが可視化されて,それらが教師の目の前に現れると考えたのです.
つまり,指導者である教師が,児童・生徒が「分かる」や「理解する」とは,彼らの脳内がどのような状態になったときかを想像できるようになるのです.
そしてここで私が挙げた現行授業の問題点は,児童・生徒の知識モデルは,独特でありユニークであるということです.
それは,テストで100点を取ったからと言って,その学習者たちが,同じように記憶している訳ではないということです.
つまり教師は,意味ネットワーク・モデルを適切に授業に利用することで,児童・生徒一人一人の授業に関する脳内イメージを把握することができるということになります.