記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

「お寺の」という言語のすごさ

 再び言語の話.

 成層火山のイメージは「富士山の形」という言葉で全員が正しい絵を描くことができました.やはり日本人の誰もが,富士山の形についての概念は持っているようです.でも,児童一人一人がどこでそれを獲得したかは不明です.少なくとも,小学校の教科指導の中で富士山の形を指導したことはありません.たぶん家庭,それもテレビの映像で獲得した可能性があります.

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児童が描いた富士山の絵

 次に鐘状火山のイメージを描かせる番です.しかし,「しょうじょうかざん」と発話しても児童は,意味が分かりません.また,仮に漢字で板書したとしても,「鐘」の字は中学校で習う漢字なので意味を推測することはできません.そこで鐘状火山の形を「つりがねの形」と発話してみました.

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釣鐘

 これで完璧のはずでした.しかし,児童たちは釣鐘の形を描くことができませんでした.つまり,児童たちは「釣鐘」という言語の概念を持っていなかったのです.今の時代,児童が「釣鐘」という言語を獲得する場面は,ほとんどありません.もしあるとしたら,学校教育の指導内容に盛り込まれているか,家庭生活で親から教えてもらう位しかありません.

 あとはICTに頼り釣鐘の写真を提示するのみかと考えていましたが,もう一つ,佐伯胖先生の小人理論を実践してみる価値がありそうです.つまり,自身の小人をお寺に派遣してその小人に釣鐘を見てもらうのです.

 そこで「お寺の」という言語を追加し,「お寺の釣鐘を描きなさい.」と発話してみました.すると,ほとんどの児童がこのような絵を描くことができたのです.

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児童が描いた釣鐘の絵

 「お寺の」という言語を聞いて自身の小人をお寺に派遣し,記憶の中の映像からお寺に関係するものを引き出し,「つりがね」の「つり(吊り)」と「かね(鐘)」に合致する映像を見て,それが釣鐘ではないかと考えたのです.ところが,別の小学校で同じような質問をしましたが,この学校の児童は同じ問題を解決できませんでした.

 それはなぜかと言えば,最初の小学校の近くにはお寺があり,児童は学校からスケッチをしに行ったり,夏はお寺の花火大会を楽しんだりしていたからです.ところが,別の学校の近くにはお寺はありませんでした.経験の差が出たのです.

 

このブログの元となる論文はこちらです. 

researchmap.jp

 

正しい概念を想起させる言葉

 「たてじょうかざん」という発話によって,児童は縦に長い火山を想起しました.実際は,何もイメージできなかった児童もいました.つまり「たて」の意味を解決できなかったのでしょう.しかし,これらの児童の困惑は理解できます.小学生を相手に授業をする場合は,このようなことが常に起こります.児童の言語概念は,中学生以上の生徒に比べてかなり貧弱であるために,指導は最も難しいのです.

 「たてじょうかざん」を「縦状火山」と解した児童たちは,この2つが紐づいた状態です.しかし,盾状火山は,盾を伏せた形で,裾野が広がったあまり高くない山です.さて,このような誤概念をどのように修正したらよいでしょうか.

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 方法はいくらかあるようです.最も早く解決させるには,電子黒板に盾状火山の写真を提示し,「これが盾状火山です.」と発話するのです.

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AF%E7%8A%B6%E7%81%AB%E5%B1%B1

 しかし,これでは「たてじょうかざん」の意味の解決ができません.したがって,「たて」は「盾」であることを伝えるべきです.そのとき,児童の記憶に「盾」があるかどうかを探ってみることも必要でしょう.比喩は,記憶の想起に有効です.一種の手がかり再生です.実際の授業では,「たては,ギリシャの兵士が持っていた攻撃を防ぐものです.」などのように発話しました.同時に手で盾を持つ格好をして,児童の想起を助けました.すると,「あ~あ」「分かった!」などの声が聞かれ,児童は記憶にしまっておいた盾のイメージを呼び起こし,「たて」という言語と盾のイメージを結びつけることに成功したのでした.

 ジェスチャー理論によれば,ジェスチャーによる非言語と音声による言語は同じ神経システムに依存していることから,発話と同時のジェスチャーは効果的と言えます.

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言葉によって異なる概念

 ずいぶん前の話ですが,ある小学校で理科の授業をしていた時のことです.指導内容から少し外れていたのですが,たてじょう火山,せいそう火山,しょうじょう火山の大まかな形を児童にイメージさせることが目的でした.

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「たてじょうかざん」と発話した場合,「かざん」は「火山」と認知します.それ程,火山という言語は児童にとってすぐに認知できる言語です.次に児童は,「たてじょう」という言語に注目します.ここで児童は,「じょう」については,「状」という漢字が想起され児童の表現で言えば「~みたいな」と意味を類推します.問題は「たて」です.みなさんは,どのような漢字をあてはめますか.このときの児童もきっと困惑したと思います.一番多かったのが「縦」です.つまり縦に高い山のイメージを描いたのでした.

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 これは,そのときに1人の児童が描いた楯状火山の絵です.児童の思考に大人の常識は通用しません.この後,絵など描かずにどのようにして正しい概念に導いたのでしょうか.

 

 

伝わらない言葉 小学生の言語理解

 博士課程の話が完結して1か月以上が経ちました.この間,別にサボっていた訳ではなく,小学校の理科専科教員としての通常業務や大学の先生との共同研究,それに修士論文を書かれている先生の指導などがあってこのブログを書く時間がなかったのです.

 ところで,みなさんは,自分の話が相手に伝わらないという経験はありますか.当然ながら日本語を話せない外国の人に対してはそうですが,ずっと以前に,小学校で担任をしていた4年生の児童から,「先生の話す言葉が分からない」とダメ出しをもらいました.それは,「すなわち」という言葉です.

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 小学校に正式採用される前に,高校で物理を教えていた癖が出たのです.この経験は結構引きずって,修士課程受験の原動力になりました.

 ある時,児童の言語理解が気になって,「とける」という言語についてどのように理解しているかを調査しました.その結果,5年生の約8割の児童が「とける」を「融解」として理解し,残り2割の児童は「溶解」として理解していました.授業では「溶解」を取り扱うので困ってしまった経験があります.

 このように小学校で授業をする場合,大きな壁は児童の言語理解能力の問題です.ですから,小学校の先生方は,自分が発話する言語に十分に気を付けながら授業を行っているのです.時々,大学の先生が講演活動の一環として模範授業をされる場合がありますが,先生の発する言語が伝わらず模範授業にならないことがあります.これも小学生の言語理解の実態を知らないことが原因です.

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得20

2018年3月24日(土) 放送大学 学位記授与式

いよいよその日がやってきた.

2015年4月1日に博士後期課程に入学して3年で学位記授与式にたどり着いた.

思えば,管理職への道を嫌って2009年4月1日に修士課程に入学し,2年間で修士の学位を取得し,その後,放送大学博士課程が開設されるまで4年の間ひたすら待った甲斐があった.

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放送大学 大学の窓より

総代(受領代表)

口頭試問で合格が決まった後に,主研究指導の先生から,「学位記授与式では,あなたが博士課程の総代なので,欠席しないように.」と言われていた.

すぐに思ったことは,NHKホールのステージに立てるということであった.たぶん,一生かけてもできなかったことが,向こうからやって来た感があった.

当日学位を受ける博士後期課程の学生は8名であったが,そのうち4名は一期生ストレート組で2017年9月に学位を取得していた.その人たちも含めて,今回の学位記授与式では,博士後期課程の8名と紹介された.だから僕を含めた4名は,一期生の半期遅れと二期生であった.二期生ストレート組は,僕ともう一人だったと思う.

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放送大学 大学の窓より

 

NHKホールの壇上から見た風景は,今も鮮明に覚えている.学位記を頂いた後,振り返って満員の客席を見た.大学を卒業・修了される多くの方々の視線が客席全体から迫ってくる.放送大学にはこんなにも多くの方々が,学んでおられたのかと実感した.それも自分よりも年配の方々がとても多かったことに感動した.

放送大学を卒業・修了された全ての方々,おめでとうございます.そして,まだまだ学びましょう.

僕が,「放送大学博士後期課程と学位取得」を書き始めて20回目で一応の区切りである.これまでお読みいただいた方に感謝です.

次からは,いよいよ記憶再生の研究について,これまで学会等で発表した論文の中身について分かりやすく書いていこうと思います.

放送大学博士後期課程と学位取得19

2018年1月-2月

口頭試問も終わり,特に論文の修正もなかったのであとは製本である.ハードカバーの博士論文は,保管用と主研究指導の先生に差し上げるためである.同時に,ソフトカバーも製本することにし,関係のある先生方に贈ることにした.

しかし,製本がこんなに金のかかるものとは初めて知った.ハードカバー5冊,ソフトカバー50冊で10万円を超えた.

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博士論文のハードカバー

ハードカバーは流石に装丁がよければ紙の質も上等で,印刷も立派なものだった.まぁ,そんな上等な質の紙に印刷してもよいくらいの中身かと言われれば,自分が書いたものだけにやりすぎの感がある.

博論の所蔵については,以前は国立国会図書館に現物が収蔵されるということを聞いていたが,今は,デジタルデータのみの所蔵のようで,自分の分は国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11116374

に収蔵されている.しかし,

この資料は、著作権の保護期間中か著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開していません。閲覧を希望される場合は、国立国会図書館へご来館ください。
デジタル化資料のインターネット提供について

「書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク)」が表示されている資料は、遠隔複写サービスもご利用いただけます。

遠隔複写サービスの申し込み方(音源、電子書籍・電子雑誌を除く)

という注釈がずっとついており,このことに関しては不明のままである.

さて,次はいよいよ修了式(卒業式)である.

放送大学の場合は,準国立的な性格があり,NHKホールを満員にして卒業式が行われる.来賓も文部科学大臣等が列席される.

卒業式は,2018年3月24日(土)であった.

 

 

        

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得18

2017年12月4日.

博士論文締め切りの日であった.僕は,主研究指導の先生からの10万字という指示を3000字超えて博士論文を仕上げることができた.今思えば,普通に小学校の級外として週当たり22~23時間(今となっては覚えていない)の受け持ち授業をこなし,帰宅後は毎日深夜に書き続けていたことを思い出す.様々な理由により,家庭で書きにくいときは,近くのホテルに宿泊し作業をしていた.かつて文豪が温泉湯治場に長期間宿泊し,作品を仕上げていた心境がよく理解できた数か月であった.とにかく,書くのみというマシーンのような日々であった.

さて,博士論文を提出すると次は,2018年1月20日(土)に口頭試問が予定されていた.

休む暇なく口頭試問用のプレゼン資料作りである.

10万3000字の論文を最初のページから読んではPowerPointのシートを作成するというルーチンワークを延々とすることになった.仕上がったのは1月18日(木)頃であった.ページ数は101ページ,311MB.PowerPointでこんなに多くのページを作成したことはない.1ページあたり2分の説明時間で200分,3時間以上の時間を要するバケモノ的資料となった.何も口頭試問の時間を知らなかった訳ではない.自分の博士論文を真面目にプレゼン資料にしたらどの位のページ数で説明できるかを知りたかっただけである.一度足を踏み入れたら抜け出せなくなり,口頭試問の直前までかかってしまったというのが正直なところである.しかし,実際の口頭試問の時間は30分である.従ってここから急ピッチで修正作業となった.その結果,101ページの資料が28ページになった.ただし,実際のビデオ映像を挿入したために,ファイルの容量は400MB以上となった.ただ,この資料が出来上がったのは,1月20日(土)発表当日の13:00過ぎであった.発表は,14:00~15:00であり,前半の30分が自分の持ち時間である.まさに,ギリギリの状況であった.

発表は,放送大学本部の図書館の一室を利用して行われた.僕は少し早めに部屋に入り,どのような環境の下で行われるのかを確認した.

下の写真は,発表中の様子を参観された方が写されたものである.審査の先生方が対面して座られている.

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口頭試問の様子

壁には,大きなスクリーンがありこのようにしっかりと提示することができた.

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口頭試問会場のスクリーン

発表中は流石に冷静ではなく,相当緊張していたが,発表時間は参観された先生によれば丁度30分であったとのことで安心した.たまたまであった.

発表後に審査員の先生方から質疑があり,それに対して説明を行い1時間で終了した.その後,審査の先生方は別室で協議されている間,待機しておくように言われたので部屋の前で待っていた.事前にこの流れは聞いており,入室が許可されて合格か不合格かを聞くことになるのは分かっていた.ただ,博士論文に修正要求が出て,条件付きの合格となることも知っていたので,ある程度は覚悟していた.

審査室のドアが開き,入室を許可され,審査員の先生方の前に立った時が最も緊張したが,すぐさま主研究指導の先生から合格の伝達があり,一瞬だけ我を忘れたような感覚になった.幸いなことに修正要求もなく博士論文として認められた.

全てが終わったように感じたが,不思議と嬉しさの感情はそうでもなく,淡々と帰郷の用意をしていた.ただ,参観の方から「古川博士の誕生ですね.」と言われたときは,少し恥ずかしさに似た感情があった.ご指導を頂いた全ての先生方に感謝である.

夕方の飛行機で帰郷し家族に報告して,また日常の生活に戻った.月曜日は,校内研修であった.

 

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得17

 なんとまた一か月のブランク.

この間にしていたことは,国際会議(IIAI AAI 2020)が今年はオンラインで実施されることになり,発表時間20分の英語のビデオを作成していた.当然,共同研究者の大学教授の先生方が満足するビデオ内容である.このことについては,後で.

さて前回は,主研究指導の先生がおっしゃった10万字という文字数が博士論文の目標であるという事を話題にしていた.62000字までは,予備論文で執筆していたが残りの40000字をどうするかというところであった.まあ,原稿用紙100枚分と考えれば,書けない分量でもないと思う反面,実際書き出すと結構な量である.

博士論文なので,それまでに書いた予備論文からの発展が鍵となるのである.その時,主研究指導の先生との話し合いで,話題に挙がったのが,「箇条書き」で考えを書くことと,記憶の再生マップで考えを描くことの違いについてであった.小学校や中学校などの学習において,分かったことを児童・生徒が表現する手段としては,箇条書きが最も一般的であり,その他ポートフォリオなども挙げられる.児童・生徒が学習した事柄を箇条書きで十分に書けるなら,また,言葉で説明できるならそれで充分であろうが,現実はそうではない.書けないし話せないというのが,日本の一般的な小学校の児童像であろう.このような理由があり主研究指導の先生が,記憶の再生マップがどれだけの効果があるかを知りたかったのである.このことは,マップの分析をどうするかにもつながる話であり,残り40000字の内容としては十分であった.

そこで,丁度,授業が「台風と天気の変化」という単元にさしかかるのをよい機会と捉えて,箇条書きと記憶の再生マップという異質の学習作業の評価に取り組むことにした.

①授業終了→箇条書きによるまとめ(同日)

②記憶の再生マップ描き(2日後)・・・マップは回収後保管

③記憶の再生マップを参照しながらの箇条書き(約1か月後)・・・マップは最初に配布

 このような計画で,授業後に2種類の箇条書きと記憶の再生マップが残った.博士論文では,一つ一つの記憶の再生マップのノード数やノードつながりとその正しさを調査し,ノード数が多い児童は精緻な記述ができていることなどを追加して41000字を記述した.

全体で10万3000字となった博士論文であるが,ボリュームではないと思う反面,貧弱に思える文字数では見栄えがしないと思う自分もいる.今思えば,この文字数は特に多いわけではない.いずれにしても,12月4日までの締め切りに間に合うことになり,それは「台風と天気の変化」が,タイムリーに授業としてあったので救われたと今でも思っている.

実は,この時のデータは,今回の国際会議で採録された論文でもデータ処理して使用しているので,児童が書く(描く)様々な成果が,日々処理もされずに空しく忘れ去られていることの方が悲しいと思う.現場の教員は,研究者ではないがもったいない話である.

次回は,博士論文口頭試問について記憶を遡って述べたい.

 

 

放送大学博士後期課程と学位取得16

前回の記事を書いて1か月経ってしまった.

この間,2つの論文を仕上げていたのでどうしても書く時間がなかった.その中の1つは,国際会議のプロシーディングスである.査読者が4人もいたが,幸いなことに採用された.この件に関しては後日.

予備論文審査に通った後は,ひたすら博士論文を書くのみである.その時期が2017年9月下旬であり,博士論文の提出期限は2017年12月4日であった.実質2か月しか残っていなかった.当然ながら小学校教諭としての勤務はしながらの作成となる.62000字の予備論文をどのように進化させるかが課題である.従って,内容の充実を図りながら複雑な主張内容の論理的な構成を考えていく日々が続いた.主研究指導の先生の「10万字」という文字数だけが妙に気になり,この時点である程度着地点に到着していた論文を再び離陸させ,どのようにその軌跡を描くかに苦慮していた.しかし,運命というものは不思議なもので,それはまるでベルトコンベアのように徐々に近づいていたのである.

当時(2017),僕は級外の教員として複数のクラスで理科を指導していたのだが,丁度,5年1組というクラスの学習が「台風」の学習であった.

 

放送大学博士後期課程と学位取得15

予備論文審査その2

 2017年6月10日,予備論文を執筆することができるかはこの報告会で決定される.この会に出席したのは,主研究指導教員の先生,副研究指導教員の先生(2名),人間科学プログラムの先生方,ゼミ指導を受けた別プログラムの先生,博士後期課程第3期生など10名弱であった.色々と考えて資料を作ったが,この時点で資料からすぐに予備論文を作成する自信は全く無かった.従って,先生方から厳しい指摘も多数あり,もう一度自分の執筆計画を見直すよい機会となった.そうは言っても,決定的なダメージはなく,ほどなくして予備論文執筆の許可が与えられた.

許可が与えられたと言っても帰郷して20日程で説明の全てを論文の形に仕上げなければならず,小学校勤務という日常業務の合間に予備論文を仕上げるのはかなり難しそうに思えた.学校の勤務が16:35で終了すると言っても,すぐに帰宅することはない.当時の公務分掌は,6年算数科のTTと高学年の理科であったと記憶している.いずれにしても,次の日の授業の準備や生徒指導の問題など,現場教員なりの忙しさはあった.したがって,予備論文の執筆は深夜になっていた.毎日の睡眠時間も4時間程度であった.

しかし,やればできるもので7月を待たずに約62000字,A4版で84ページの予備論文は仕上がった.この論文をもとに,8月には予備論文審査が非公開で行われた.その結果は主研究指導の先生から聞かされた.合格である.すなわち,博士論文を執筆する許可が与えられた.8月上旬のことである.博士論文の提出期限は12月初旬であることから,この時点で残された時間は,4か月弱となった.

8月16日に上京し,主研究指導の先生と予備論文について議論した.そのとき,主研究指導の先生が,同じプログラムの一期生である村田直樹さんの論文の文字数について,10万字にものぼる論文を執筆されたことを話された.自分の予備論文が約62000字であっただけに,文字数の不足感を感じずにはいられなかった.

8月のこの時期は,一期生4名はすでに口頭試問も終わり,最終の修正作業をしている時期であった.先生の話の中で気になる話題があった.それは,口頭試問時に大幅な論文の修正を要求された一期生がいたということである.

僕はその後,9月からは月一で上京し先生と議論を続けながら,博士論文の特に序章のボリュームを増やすことになる.ちょうどその日は,第一期生4名が博士の学位記の授与を受けた日でもあった.