記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

教師の発話の留意点①

 新年度になって異動しました.新しい学校は,武雄市立北方小学校で,またまた理科専科ということで理科の指導を行います.ありがたいことです(^^;)

 さて,前回の書き込みから約1ヶ月になろうとしていますが,肝心の論文で示した教師の発話について知っておいたほうがよい知見があります.今回はこのことについて紹介します.

 まずはじめは,『教師は児童・生徒が持っているであろうと考えられるスキーマを考慮した発話を行うことで,児童の概念形成や誤概念の修正に一定の効果を確認した』,ということです.

 どういうことかと言えば,過去に教授した内容や与えた知識を児童らが参照できるような発話を行うと,概念形成に有利だと言うことになります.当たり前と言えばそうですが,このことを意識するかしないかでは大きな違いがあります.

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児童・生徒のスキーマを考えて発話する.

 具体例で見ていきましょう.

 前の時間に学習した内容を想起させるとき,「前回の授業で何を学びましたか」と質問するのはどうでしょうか.実は,これはNGです.NGというよりも,児童に対してはほとんど功を奏しません.

 それよりも,例えば次のように発話すると,授業が盛り上がり想起する児童が一気に増えます.それは,「前回の授業で(ここまでは一緒です),このあたりに何かを書きましたよね」と言って,前回の授業のまとめを書いた黒板の領域辺りを手で示すのです.まとめを書いた領域の形に沿って手を動かすと効果的です.そのときに,まとめを行うときに起こったエピソード(例えば,児童の誰かの発言をもとにまとめたなど)も紹介すると,児童は想起できます.つまり,そのときのエピソード記憶に関係した言語を発話するようにすればいいのです.

 例①「前回の授業では,〇〇の考え方に近い方法で問題を解きましたね」←〇〇が想起するための手がかり.

 例②「この形を見ると何か思い出しますね」←前回に使用したある特徴的な形をジェスチャー示したり,板書したりする.

 例③「〇〇さんの方法で解けたよね」←〇〇がチャンクとなりますので,前回の授業では,〇〇さん方式などでまとめておけば,想起が楽に行なえます.そのためには,授業の折に,後で使えるエピソードを仕掛けておくこともありですね.

 今回はここまでです.お読みいただきありがとうございました.

ひと休み~日本の学校教育を考える~

 このブログは,教育実践の結果から分かったことを,分かりやすく紹介していますが,今回は初等中等学校で勤務する多くの教員が感じていることを書きます.

 先日,UNEXTで「小さな恋のメロディ」という映画を見ました.マーク・レスタートレイシー・ハイドジャック・ワイルドを中心とした思春期の子供たちが,自分たちを管理しようとする大人たちに反抗して,夢に向けて奔走する物語です.

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 何十年ぶりに観ましたが,好きな映画はいつ観ても感動します.ところで,観ながらふと思ったのは,1970年代のイギリスの小学校というフィールドについてでした.私は専門ではないので詳しくありませんが,宗教やラテン語の授業があり,当時から小学校でも教科担任制のようでした.教育制度の違いは,そのまま国民全体の学力に直結すると考えます.この映画に登場するイギリスの小学校の先生方は,自身が教える教科のプロという印象で,威厳も感じられました.また,校内のダンスパーティのシーンなどは,ずいぶん日本と違う自由な雰囲気でした.何か教師としての羨ましさを感じたのはなぜでしょうか.

 一方,学力との関連からはノーベル賞を連想します。優れた人物がどの程度輩出されたかは、その国の教育制度や文化、政治体制と大いに関係があるはずです.ノーベル賞受賞者数は,自然科学分野では、1位はアメリカで2位がイングランドです.日本は5位ですから、人口に比例しているものではありません.しかし,同様の教育を受けているのであれば,また人口以外のノーベル賞輩出数決定要因に有意差が無ければ人口に比例するはずで,中国が断トツで1位でしょう.しかし実際に中国等のいくつかの国は,ノーベル賞などよりも国益(特に軍事力)が重要視され,優れた人物の研究成果の公表を控えているが,その技術力は突出していると指摘する学者もいます.しかし,こう見ると各国の教育制度の議論だけで学力のことは語れないということになります.

 しかし,アメリカやイギリスと日本は何かが違うと考えてみることはできそうです.また,戦後の急成長をもたらした日本の教育を参考にした諸外国が,それをどのようにカスタマイズしていったのかも気になるところです.

 この映画が公開された頃の日本では,大阪の地に足を運んだ多くの児童が,大阪万国博覧会(1970年)で未来の科学技術を目の当たりにし胸をときめかせました.しかし,学校では相変わらずに机に座り,教科書,ノート,黒板だけで,それまでと変わらない一斉指導を受けていたのです.

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昔の教室

 もし,あのとき,胸をときめかせた児童に対して,その子に適した方法で何か教育的なメッセージを与えることができたなら,より一層日本の科学技術が進歩したかも知れません.つまり良質な教育環境とでも言うべきものでしょうか.それは,何もコンピュータである必要もなく,教師がその事と関係のある話をしたり,未来について想像する授業を行っても良かったと思います.しかしながら,学習指導要領には指導すべき内容が書かれてあり,教師は忠実に業務を遂行していったのです.従って,大阪万国博覧会という経験も,よい思い出として心にしまい込まれていったのでしょう.

 教育現場にいると,ときどき新しい波が来るのを体験します.それは,教室環境が変わったり,学習指導要領が変更になったり,教科書が変わったりするときです.

 1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて,パソコン通信に始まるネットワークが教育の環境として登場し、CAIなどのコンピュータ教育の流れで学力向上を目指そうとした時期がありました.私も,県の教育センターのパソコン断続研修という年間10日の講座を受講し,CAIに関するプログラミングのスキルを身に付けたことがあります.その他,BASICやLOGOなどのコンピュータ言語は,当時の教員が必死になって学びました.

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LOGO言語

 しかし,各学校の環境はすぐには整備されず,相変わらず旧態依然としていました.年間10日もの研修で身に付けたプログラミングのスキルも,実際に各学校で発揮するほどにはならず,いつしか忘れられてしまいました.そして,教育センターの講座も無くなり,数年後にはハードウェアも撤去されてしまいました.

 日本の教育現場は常にトップダウン的にやって来る目新しきものにさらされています.技術革新の波が最も遅くやって来るのは学校であるとよく言われます.ですから,教員は社会の変化に注目しつつ,そろそろ新しい波が教育の現場にもやって来るだろうことを予感しつつ勤務しています.最近の動きで言えば,高学年の算数・理科・外国語の教科担任制,プログラミング教育です.Society 5.0時代を生きる児童・生徒の育成を目指すGIGAスクール構想もそうですし,STEAM教育の流れについても感じています.

 つまり,現場の教員はこのような新しき流れに目を奪われ,授業について考える時間をも失ってしまったのではないかと考えています.昔は,教科書・ノート・黒板で行う授業の内容をどのように構成するかなどを考える時間が十分にありましたが,今は新しきものについて教師が学ぶ必要があり,校内研究の内容も教科の研究がそれらに取って代った学校も見受けられます.

 働き方改革の旗を一方では掲げつつ,もう片方には教育の新たな流れがもたらされ,本当に教育の最前線は疲弊していると言っても過言ではないでしょう.社会が複雑になればなる程,学ぶべき内容も増え,当然ながら教える側にも新たな知見や技能を身に付ける必要が生じています.これからの教員は,これまでの教員に比べて様々な知識を概念化して授業を行うことになるのでしょう.

 その他にはこんな話もあります.ある地区では,「○○授業」と称する授業の流し方が決められています.長期の休みなどには,これに関するセミナーが開催されています.しかし,この方法に関する学術論文等のエビデンスはありません.各学校の各学級の児童がどのような児童の集団であれ,やり方を統一することに主眼が置かれ,その普及啓蒙に時間がかけられています.いつまで経っても30名や40名の一斉授業で,教師主体の授業です.しかし,主催する人たちは,個々の児童に寄り添っていると主張しますが,学力はなかなか上がりません.そんな時にそのエビデンスに挙げられるのが家庭環境です.家庭学習が疎かになっているなどは,よく聞く理由の一つです.学力向上を阻害する原因は,家庭環境のような外部決定論で論じるのではなく,授業の中身で議論することが大切ではないでしょうか.

 「小さな恋のメロディ」で先生方と対峙した子供たちの生き生きした姿やそれでも体を張って子供と向き合っている学校の先生たちの姿がやっぱり好きです.児童の学び方を教師の授業展開と混同してはいけません.物事の概念化は,意味のある映像を見ることにより一瞬で起こったり,学んだ過程を想起し,そのつながりに納得して起こったりします.もっと児童一人一人に寄り添った教育が実現できるように,学校現場ですべきこと,それ以外が担うことをはっきりさせて,現場の教師がもっと生き生きとプロとして主体的に働ける環境づくりをしていく必要があります.

記憶再生マップとテストの成績

 これから5枚の記憶再生マップを見てもらいます.全てこれまで提示したマップと同じ授業時間に書かれたものです.この後,市販の評価テストを行いましたが,それぞれのマップを書いた後の児童の成績が気になります.点数は公表しませんが傾向だけ紹介します.

 なお,テストは表側が100点満点(主に覚えていることや経験したことを問う問題),裏側が50点満点(主に考えて答えを出す問題)で作られています.

Aのマップ

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A児の記憶再生マップ

 一見するとノードが少なく,うまく描けていないような記憶再生マップですが,テストの表側は満点こそ取れなかったのですが8割から9割程度の成績で裏は満点でした.つまり成績は良いということになります.では,なぜでしょうか.

 それは,中心ノードと第1ノードの言語から文脈を読み取り,適切な言語を第2ノードに書いていることから,よく理解ができていることが分かります.もっと詳細に描くこともできると考えます.このような児童は,結論に至る過程を丁寧に描かせることで,もっと学力が上がると考えられます.

 

Bのマップ

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B児の記憶再生マップ

  この記憶再生マップは,Aのマップよりもノードが増えて,よくまとめられているように見えます.しかし,第2ノードをよく見てください.「とける」に対して「とけない」,「重さ」に対して「かるさ」,「溶ける量」に対しては「少し」と綴り,第3ノードは「多く」と書きました.一見,よく描かれているようですが,記憶を再生していないようです.実際,表側は半分程度の得点で,裏側は1問しか正解できなかったのです.

 

Cのマップ

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C児の記憶再生マップ

  この児童は,ほぼ学習内容を概念化できていると言えます.例えば,「とける量」に続けて書いたノードのトピックが「決まっている」ー「かぎりがある」と結論づけ,続けて「塩20gとけない」ー「ホウ酸5gとけない」という実験結果で締めくくっています.テストの成績は,裏側は満点で,Aの児童よりも上でした.

  

Dのマップ

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D児の記憶再生マップ

  この児童は,ノードのトピックを絵で表現するのが得意のようです.また,赤ペンで知識を追加しようとしています.一見するとよく描けているようですが,「とける」と「重さ」という第1ノードの文脈を読み取れていません.テストの成績は,表側はCの児童よりもよくてほぼ満点なのですが,裏側は満点は取れませんでした.

 

 最後にEのマップです.

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E児の記憶再生マップ

  この児童の成績はよくありません.表側は半分程度ですが,裏側は点数が取れませんでした.教師がこの児童の記憶を読み取ろうとしても読み取れませんでした.つまり,この児童の記憶はほとんど概念化してないということです.

 

 このように記憶再生マップを見ていくと,今回のような市販の評価テストでも,ある程度は評価できると言えますが,脳の中で概念として保持する記憶のつながりの詳細は記憶再生マップに比べたら分かりません.今回は,記憶再生マップとテストの成績というタイトルで,事例紹介をしました.今回は,ここまでです.お読みいただきありがとうございました.

児童によって変わる記憶再生マップ②

 ある単元の授業が終わり,児童に記憶再生マップを描かせるとき,必ずしも児童のモチベーションが高まっているとは限りません.次の記憶再生マップは,そのような児童が描いたものです.

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児童が描いた記憶再生マップ3

 この児童は,普段は積極的に学習に取り組むのですが,このときはあまり学習をしたがらない様子でした.

 一見,あまり詳しく描かれていない記憶再生マップです.教師が提示した中心ノードと第1ノードを省けば,最初に描いたのは,「水∔薬=水溶液の重さ」というリンクと,「塩-50mL 20mL(それに不明2文字)」,「冷やす-(実験の絵)」の3つだけでした.「最初に」というのは,記憶想起のみでという意味で,赤ペンで描かれている部分は,教科書やノートを参照しながら追記した部分になります.

 記憶再生マップは,最初は記憶のみで描き続け,どうしても思い出せない状態になったら,教科書やノートを参照しながら描き続けるという決まり事があります.

 さて,この児童の記述を見ると「水∔薬=水溶液の重さ」の部分が気になります.それは正確ではない表現だからです.しかし,そのことはこの児童に対する指導の箇所を示してくれているのです.ですから,「水+薬の部分は,水の重さ+溶かしたものの重さということですか.」と問いかけを行うことで,概念の修正ができると考えられます.

 前々回に紹介した児童の記憶再生マップは,大変よくまとめられていましたが,「重さ」からのリンクは描けていませんでした.

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児童が描いた記憶再生マップ

 この児童は,教科書を参照して描き足しているのが赤ペンの記述で分かります.「もののとけ方-重さ」という言語からの文脈が分からなかったということです.実は,この「重さ」を第1ノードのトピックにしたのは,文脈を読み取るのが難しいと考えたからで,ここを記述できる児童がどれくらいいるかを知りたかったからでした.結果は,ある程度の内容で記述できた児童が30名中8名でした.

 さて,初めの児童の記述にもどると「水∔薬=水溶液の重さ」となっており,教師が提示したノードのつながりから文脈を読み取っているのが分かります.正確な表現でないにしても,水の重さと溶かしたものの重さを足すと水溶液の重さになるという表現であることが推測されます.

 その他,「塩-50mL 20mL(それに不明2文字)」は,塩を水50mLに溶かす実験では,20gは溶けなかったということを表現しているようですが,確認したところgでなければならないのにmLと書いてしまったようです.

 この児童はその後の評価テストでは満点を取っています.もし,モチベーションが高い状態で記憶再生マップを描いたなら,もっと詳細なものが描けたと考えています.

 今回はここまでです.次回も,特徴的な表現を見ていきたいと思います.ここまでお読みいただきありがとうございました.

児童によって変わる記憶再生マップ

 今回は,色々な記憶再生マップを紹介します.

 これは,前回と同じ授業で別の児童が作成したものです.記憶再生マップには,正解がありません.それは,児童がその時点で持っている概念を児童や教師が確認するためだからです.

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児童が描いた記憶再生マップ2

  この児童は,手がかり再生用に教師が提示した「とける」という第1ノードのトピックから,「とけない」という言語を第2ノードのトピックとして書いています.また,「重さ」という提示された第1ノードのトピックに対しては,「かるさ」という言語をつないでいます.さらに,「溶ける量」という手がかり再生用の言語からは,「少し」-「多く」という言語をつなぎました.

 一般的に手がかり再生は,手がかりとなる言語等に関連する事象等を想起することを目指しています.つまり,そこには,与えられた課題に対する文脈があることに気付く必要があります.残念ながら,この児童は教師が提示した中心ノードの単元名と4つの第1ノードのトピックのつながりから,文脈を読み取ることができていなかったということになります.また,赤色で追加した「透明」に関する記述も,「いろ」-「とうめい」-「(不明)」-「白色」と追記していますが,教師はこれを読んで意味を読み取ることができませんでした.ただ唯一,「粉」を訂正して「粒」-「水の中に広がっていく」というリンクだけは,この児童が溶解する食塩などの粒子に関して理解が進んでいることに気づきます.しかしながら,この児童の成績は思わしくありませんでした.

 次回も,同様に児童の記述を見ていきたいと思います.ここまでご覧頂きありがとうございました.

児童は自分の誤概念を修正できるか.

 今回のテーマは,誤概念です.

 教育現場では,児童・生徒や教師もけっこう気になる内容ですね.児童・生徒にしてみれば,見えない(見てない),聞こえない(聞いていない),考えられない(考えていない)などの条件によっては,誤概念が形成されます.きちんと授業を受けていても形成される場合があります.

 しかし一旦,誤概念が形成されても児童・生徒はそれが誤概念と思っていません.一方,教員は,児童・生徒に誤概念が形成されても分からないので授業を進め,児童・生徒の誤概念を最後まで修正せずに終わります.これは,お互いにとって最悪のシナリオです.そして児童・生徒はテストが返却されたとき「なぜ間違ったのか」と考えるのです.間違ったところを,教師がつけた「✔」によって再度考え直して誤概念を修正する児童は多く見受けられます.しかし,それでも消極的な誤概念の修正です.極端な言い方をすれば,「〇」をもう一方の回答欄に付ければ修正終了となります.つまり,内なる納得がない誤概念の修正です.

 理想的なのは児童・生徒自らが,誤概念に気づき自己修正すれば手っ取り早いのです.自らが気づくとは,内なる納得をして修正を行うということです.

 前回見て頂いた記憶再生マップをもう一度よく見てみましょう.

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児童が描いた記憶再生マップ

 このなかで,赤字で描いてある部分があります.これが,児童が自身の概念を修正した箇所です.まずは,次の絵をご覧ください.

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修正箇所1

 「とける」をようかい(溶解)とゆうかい(融解)に分けて最初に書いた概念に×を付けています.そして,目に見えるか見えないかという,自身がこれから適用しようとする考え方で訂正しています.この場合,×を付けた最初の記述は,例として挙げても十分だと思われます.この児童は,ある程度の粒子概念を身に付けているものと思われます.このような曖昧さが残る記述を見ると,定義の言葉でなければならないと思う人は,小学生の概念形成には時間がかかることを知らない人でしょう.

 また,「とける」に直接赤ペンで付け加えているノードは,ある溶質が溶解してできた水溶液の性質を表しているものと考えられます.透き通っているものを「とける」と言うと書いていますので,要指導箇所と言えますので,この児童に対しては,評価テスト前に指導を行いました.

 一方,次の修正箇所では,ろ過についてのエピソード記憶を絵で表現していましたが,その事を「ろ液」と表現していたところを「ろ過」に修正しています.そのままでは,評価テストで間違うところでした. 

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修正箇所2

 これらの児童自身が考える誤概念の修正は,内なる納得を経て行われています.他にも例を挙げるときりがない位に,児童自身による誤概念の修正例はあります.そして何よりもいいのは,教師がこの記憶再生マップを見ることができるということです.

 今回はここまで.お読み頂きありがとうございました.次回は,児童によって変わる記憶再生マップの話です.

児童の書いた内容から,記憶の種類を探る②

 今回は.児童が授業で行うマッピングを紹介しながら,児童が記憶している知識を見ていきたいと思います.まず,このマッピングですが,様々な教科等で行われているマッピングとは異なります. 

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記憶再生マップ

 このマッピングは,学習した結果として記憶にある事柄を書き出すためのものです.中心ノードにはたいてい単元名が書かれています.その周りの第1ノードには,記憶想起を容易にする言葉が書かれています.

 実際に児童が描いたマップを見てみましょう.

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児童が描いた記憶再生マップ

 このマップは,5年生が理科の「もののとけ方」という学習が終了した直後に描いたものです.この中で,エピソード記憶意味記憶を探してみましょう.

 例えば,「もののとけ方」-「とける」以降に書かれている「ようかい(溶解)」,「ゆうかい(融解)」からの派生は,それぞれについて説明していますので意味記憶と考えられます.また,「もののとけ方」-「とける量」以降に書かれている「ホウ酸」,「食塩」からの派生は,自分が授業で見たこと等を描いているのでエピソード記憶と考えられます.

 このように,記憶再生マップでは,学習者の保持する記憶の内容とその種類を知ることができます.これまでの学校教育では,このようなマッピングは行われていなかったために,学習者がその時々でどのような記憶を保持しているかなど分かりませんでした.

 記憶再生マップは短時間で,どの児童・生徒がどのような理解をしているか判断できるので,指導者自身の指導に対するフィードバックになります.

 ちなみに,この程度のマッピングは,児童が記憶想起に慣れれば,15分程度で完成するようになります.

 次回は,別の効果についてです.ここまでお読みいただきありがとうございました.

児童の書いた内容から,記憶の種類を探る①

 前回から1か月以上過ぎてしまいました.(^^;)

 さて今回は,「児童の書いた内容から,記憶の種類を探る」というテーマでお話ししたいと思います.まずは,記憶の種類です.

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  多くの論文等に引用されているのがこちらの図です.もちろん,これは原図のデザインを守りながら日本語用に言語を書き換えたものです.

 手続き的記憶とは,自転車の乗り方や店での買い物の仕方などのように,言語による思考を介さずに,対象の動作が再現される記憶を指します.自転車に乗るとき,「ハンドルを持って,次にサドルに腰かけて・・・」などと考えないし,「お店に入ったら買い物かごを手に取り,商品を入れ,レジ前に並び・・・」などを考えていたら買い物はできませんよね.それぞれの動作を繰り返し,自然と行うようになったとき,その手続きの記憶が意識せずに自然と使われているのです.

 しかし,この場合の手続き的記憶ですが,初めは宣言的記憶だったことに気づきませんか.小さい頃,親から「ハンドルを持って,サドルに乗って,片方の足はペダルにかけて・・・・」と教えられませんでしたか?

 宣言的記憶とは,言語によって記述できる,事実についての記憶を指します.別名,陳述記憶ともいいます.鉄棒の逆上がりやボールの正しい蹴り方を教えてもらうときなど,教えてもらった宣言的記憶を何度も思い出して,できるようになった人も多いと思います.

 手続き的記憶が,全て宣言的記憶を介して形成されるかと言えばそうではなく,上手くいった経験のイメージから形成される場合もあります.

 宣言的記憶は,エピソード記憶意味記憶に分けられます.エピソード記憶とは,個人的経験に基づく記憶であり,時間的・空間的文脈の中に位置づけられる記憶です.これは.個人的な関わりのなかで形成されます.これに対して,意味記憶とは,一般的な知識として形成される記憶のことです.そうすると先程の「ハンドルを持って・・」は意味記憶と解釈できます.教える人が,自転車の乗り方を誰かに指南するときに使っていた概念化した知識です.

 このようなことから,学習の結果としての児童の表現物から分かるものはエピソード記憶意味記憶です.

 次回は,児童の実際の表現物を見ていきたいと思います.今回もお読みいただきありがとうございました.

 

 

「お寺の」という言語のすごさ

 再び言語の話.

 成層火山のイメージは「富士山の形」という言葉で全員が正しい絵を描くことができました.やはり日本人の誰もが,富士山の形についての概念は持っているようです.でも,児童一人一人がどこでそれを獲得したかは不明です.少なくとも,小学校の教科指導の中で富士山の形を指導したことはありません.たぶん家庭,それもテレビの映像で獲得した可能性があります.

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児童が描いた富士山の絵

 次に鐘状火山のイメージを描かせる番です.しかし,「しょうじょうかざん」と発話しても児童は,意味が分かりません.また,仮に漢字で板書したとしても,「鐘」の字は中学校で習う漢字なので意味を推測することはできません.そこで鐘状火山の形を「つりがねの形」と発話してみました.

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釣鐘

 これで完璧のはずでした.しかし,児童たちは釣鐘の形を描くことができませんでした.つまり,児童たちは「釣鐘」という言語の概念を持っていなかったのです.今の時代,児童が「釣鐘」という言語を獲得する場面は,ほとんどありません.もしあるとしたら,学校教育の指導内容に盛り込まれているか,家庭生活で親から教えてもらう位しかありません.

 あとはICTに頼り釣鐘の写真を提示するのみかと考えていましたが,もう一つ,佐伯胖先生の小人理論を実践してみる価値がありそうです.つまり,自身の小人をお寺に派遣してその小人に釣鐘を見てもらうのです.

 そこで「お寺の」という言語を追加し,「お寺の釣鐘を描きなさい.」と発話してみました.すると,ほとんどの児童がこのような絵を描くことができたのです.

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児童が描いた釣鐘の絵

 「お寺の」という言語を聞いて自身の小人をお寺に派遣し,記憶の中の映像からお寺に関係するものを引き出し,「つりがね」の「つり(吊り)」と「かね(鐘)」に合致する映像を見て,それが釣鐘ではないかと考えたのです.ところが,別の小学校で同じような質問をしましたが,この学校の児童は同じ問題を解決できませんでした.

 それはなぜかと言えば,最初の小学校の近くにはお寺があり,児童は学校からスケッチをしに行ったり,夏はお寺の花火大会を楽しんだりしていたからです.ところが,別の学校の近くにはお寺はありませんでした.経験の差が出たのです.

 

このブログの元となる論文はこちらです. 

researchmap.jp

 

正しい概念を想起させる言葉

 「たてじょうかざん」という発話によって,児童は縦に長い火山を想起しました.実際は,何もイメージできなかった児童もいました.つまり「たて」の意味を解決できなかったのでしょう.しかし,これらの児童の困惑は理解できます.小学生を相手に授業をする場合は,このようなことが常に起こります.児童の言語概念は,中学生以上の生徒に比べてかなり貧弱であるために,指導は最も難しいのです.

 「たてじょうかざん」を「縦状火山」と解した児童たちは,この2つが紐づいた状態です.しかし,盾状火山は,盾を伏せた形で,裾野が広がったあまり高くない山です.さて,このような誤概念をどのように修正したらよいでしょうか.

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 方法はいくらかあるようです.最も早く解決させるには,電子黒板に盾状火山の写真を提示し,「これが盾状火山です.」と発話するのです.

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AF%E7%8A%B6%E7%81%AB%E5%B1%B1

 しかし,これでは「たてじょうかざん」の意味の解決ができません.したがって,「たて」は「盾」であることを伝えるべきです.そのとき,児童の記憶に「盾」があるかどうかを探ってみることも必要でしょう.比喩は,記憶の想起に有効です.一種の手がかり再生です.実際の授業では,「たては,ギリシャの兵士が持っていた攻撃を防ぐものです.」などのように発話しました.同時に手で盾を持つ格好をして,児童の想起を助けました.すると,「あ~あ」「分かった!」などの声が聞かれ,児童は記憶にしまっておいた盾のイメージを呼び起こし,「たて」という言語と盾のイメージを結びつけることに成功したのでした.

 ジェスチャー理論によれば,ジェスチャーによる非言語と音声による言語は同じ神経システムに依存していることから,発話と同時のジェスチャーは効果的と言えます.

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