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13日に前回の投稿をした後,兵庫県知事選がありましたね.私は政治の専門家ではありませんので,あまり言いたくはないのですが,一部の人たちはSNSの活用で再選につながったようなことを言っているようですが,私はむしろ日本の教育によって彼に勝利がもたらされたと思っています.どういうことかと言えば,T氏の流布した嘘を,兵庫県民が信じてしまったことによる勝利だということです.つまり,クリティカルシンキングとファクトチェックの問題です.
前々回で文部科学省も参照しているCCR(The Center for Curriculum Redesign)の図を出しましたが,下の図の赤四角の部分を見て下さい.
21世紀の教育における枠組み(Framework)の中の児童・生徒に身に付けさせたいスキルです.つまり「How we use what we know.=知っている事をどう使うか.」は,上から和訳すると「創造性」「批判的思考」「コミュニケーション」「共同(協働)作業」となります.すなわち,これら4つの能力を培うように提言されている訳です.
つまり,①創造性を育むような仕掛けを授業に仕組むこと,②目の前の情報を吟味することなしに信じるのではなく,情報の正確さや真実性があるか批判的な目で確かめること,③様々な情報元とやり取りを行うこと,➃自分一人で行うことはもちろん,他と協働しながらも活動することを提言しています.
しかし文科省は,これらを自分(文科省)たちが今まで言ってきた「思考力・判断力・表現力等」と読み替えてしまいました.
その結果,CCRの具体的な提言が非常にボケたものになってしまったのです.また,現場の学校等では,文科省の指導を受けた教育委員会等の右へ倣い指導により,「Critical Thinking=批判的思考」の文字は無くなった訳です.ちなみに,現行の学習指導要領に「批判的思考」の言語は見当たりません.
私が教員を始めた頃からのことを回想すると,「批判的思考」という考え方は,インターネットが教育界に広まり始めた1990年代初頭から,ちらほらと聞くようになったようです.もちろん,機器や回線の整備等の違いで県によってはもっと後だったところもあるかも知れません.その意図は,「インターネットの情報を鵜吞みにすることは危険である」という教えでした.
しかしながら,2000年あたりから校内のネット環境が急速に進むにつれて教育現場の興味は,ネット環境をどのように生かしていくかという事がメインとなり,例えばCU-SeeMeなどのテレビ会議ソフトを使った遠隔授業などが盛んに研究されました.
そして,私の周辺で「批判的思考」という言語が,校内研究や指導主事などの指導で話題になったという記憶はありません.
このように現行の日本における教育を考えてみますと,従順なる労働者の育成とでも言いますか,物事を批判的に見る思考回路が形成されてこなかったようです.
このようなことから,今でもメディアを賑わしている兵庫県知事選挙での結果は,これまでの日本の教育がもたらしたものだと考えているのです.もちろん,そうでないかも知れませんが,もしそうであれば教育界の責任は大きいと言えそうですね.