前回の最後に,「授業という演劇を理解するためには,時間がかかる」と述べました.
それでは児童はいつ,授業の内容を理解することができるのでしょうか.
これを知るためには,自身が実際に児童に対して授業を行ってみなければ分かりません.授業を行うと,児童との会話のやり取りや児童の呟き,表情・態度などから,理解している児童とそうでない児童をある程度見分けることができるようになります.理解が早い児童は,授業時間の経過とともに瞬時に理解する様子が見て取れます.第一は,自己中心的言語の発話です.それは,たった今見た現象や見つけた解法を,発話で自身に対して説明するように呟く様子です.つまり聞き取った言語や,見た映像から因果関係などの意味を見い出し,内(うち)なる納得をしたと考えられます.第二にこのような児童は,学ぶべき内容に対しての正しい発話や呟きを行うことからも確認することができます.
ところが多くの児童は,このような境地に至ってない場合がほとんどです.これらの児童は,授業時間中に理解に至らなかったので,一旦保留状態と言えます.このような児童が今後理解するようになるためには,少なくとも授業のエピソードだけはしっかりと記憶させておくことが重要です.つまり,授業で何が行われたか,何をしたか,何を見たか,何を聞いたかなどです.これらのことを記憶するためには,学級全体としての授業を受ける姿勢は,予め身に付けさせておかなければなりませんし,授業という演劇を理解するためには,少なくともそのあらすじは知る必要があります.そして,これら未理解の児童たちを,どこで理解させるかが次のポイントになります.
最も適切な場面は,次の授業の冒頭ということになります.ここに「前時のまとめ」を設定することもあります.当然,数日の時間が空くので記憶想起ということになります.このような時間を設けると,前回の授業の内容を考える機会を与えることになりますので,授業後に混乱していた児童の記憶が整理されることが期待されます.
そして,このような「前時のまとめ」を行うことで,少なくとも前回の授業のあらすじと,今から行う授業という演劇のあらすじがつながる素地ができました.つまり,今日,授業を行う意味が分かるようになるのです.
ここまでの何となくのまとめ
「児童は,前回の演劇を今日理解し,これから始まる演劇の意味に気づく」
ここまでの内容は,学習の最終段階で記憶再生マップを描かせる理由ともつながってきます.
今回はここまでです.お読みいただきありがとうございました.