記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

ちょっとひと休み~記憶再生マップについて~

【はじめに】 

 前回の書き込みからちょうど一か月となりました.

 お読みいただいている皆様に感謝しております.

 ここまでは,過去の実践研究で得られた結果をもとに,記憶再生マップを学習で利用することの効果について書いてきましたが,ちょっとひと休みして,「記憶再生」という名前の由来などを紹介します.

名前の由来】

 「記憶再生マップ」という名は,児童が学習した内容をビデオのように再生するという意味から名付けました.最初にこの名前を初めて使ったのは,放送大学博士後期課程3年次の6月に東京文京学習センターで行われた博士予備論文審査会です.

(博士予備論文審査会についてのブログは,

放送大学博士後期課程と学位取得14 - 記憶の再生について考えるブログ (kiokusaisei.com)

あります)

 私は,当時勤務していた小学校での理科の授業や,新規採用教職員指導教員として勤務した年度では,指導する新規採用教員の授業(国語等)で記憶再生マップを使った授業を指導していました.

 ところが,予備論文審査会で説明をしたところ,ある審査員の先生から「記憶再生という言語はない」,という指摘を頂き,その後しばらくは「記憶の再生マップ」としていました.

 記憶に関しては,再生という言語はありますが,似た言語で再認もあります.記憶再生マップの意味としては,どちらかと言えば,経験したことを描きだすことになることから,再認ではなく再生です.ところが,このマップを児童に初めて使わせていた頃は,「記憶再生マップ」とは呼ばずに「記憶想起マップ」と呼ばせようとしていたことがあります.

 しかし,児童が「想起」では意味を十分に読み取れなかったのです.つまり,「SOUKIって何?」と質問する児童がいたということで,児童が分かる言語を探して「再生」にしたという経緯があります.記憶「再生」ならばビデオの再生と同じように,記憶を脳内で再生するというシナリオは,記録したものを動画として映すことですから,記憶想起と似ているので良い訳です.小学校の児童に,そこのところの難しい話は通用しません.

【記憶と想起と学校】

 さて,「記憶と想起」について言及したのはアリストテレスで,その著書はギリシャ語のタイトル,「ΠΕΡΙ ΜΝΗΜΗΣ ΚΑΙ ΑΝΑΜΝΗΣΕΩΣ」です.deeplで翻訳すると「追憶と記念について」となりますが,googleだと「記憶と想起について」となり,一般的にはこの訳が多いようです.

 そこで,記憶と想起について私の周りの学校での実態について見ていきたい思います.

 まず「記憶」に関しては,掛け算の九九などで何度も唱えて記憶させる(リハーサルと言います)指導や毎日の宿題として課す漢字の書き取り,フラッシュカードの利用などは見受けられますし,教科の学習では,例えば理科の導入で児童の興味を引く演出を行ったり,算数のまとめにチャンクを利用したりするなどが見受けられます.また,ICT機器を利用して,クラウド上で児童の考えを共有したり,共同で作業をしたりする取り組みは最近特に増えてきました・・・・・.

 とは言うものの,そもそも学校現場では「記憶」ということよりも,○○ができるようになること,書けるようになること,答えられるようになること,集中できる,理解できるなど,教科単元の評価規準に照らし合わせて目指す児童像を考えて授業設計を行ってきましたので,掛け算の九九のように「記憶」を意識して指導されることはほとんどなされていないように感じます.

 校内研究会でも,如何にしたら児童は理解するかという話はよく出てきますが,どのような指導を行ったら児童は学習内容を記憶するかなどの話は殆どありません.また,暗記という言語は,記憶よりもよく耳にしますが,最近はあまり良い意味では用いられません.まぁ,暗記中心の学習からの脱却は進んでいるような気がしますが・・・・.

【理解と記憶】

 私は,理解するとは,学習内容やその過程を正しく記憶に残すことであると学位論文で述べました.この論文には,「記憶」という言語は710回も出てきます.なお,想起は109回,理解は154回,納得は31回出現します.これらの言語が深く関係しています.学校現場では,この中では圧倒的に「理解」という言語が好まれています.

 学習内容の理解や文章問題の題意の理解など,指導案には「理解」という言語がよく使われています.学校現場では,理解したことの拠り所はテストの出来映えです.テストで良い点を取れば,その児童・生徒は,学習した内容を理解したと考えます.

 しかしこれは間違いではありませんが,十分ではありません.それは,テストが学習内容の全てを網羅することができないことと,テスト実施のタイミングがバラバラなので,その理解がどの程度持続するか分からないからです.つまり,小学校の例で言えば,評価テストはどこのテスト会社のものを採用しても構わないし,学習が終了してどのタイミングで実施しても構わないのです.

 そのような状況ですが,評価テストの結果が良ければ学習指導が上手くできたと教員は考えます.私は,これはこれでいいと思っています.なぜなら,児童・生徒の学習は,いずれ近い将来や遠い将来に彼らを助ける力になればいいと思っているからです.

 ところがこのままでは,児童・生徒一人ひとりの理解とはどのようなものかを,児童・生徒自身も教員も知らずに時間だけが過ぎ去ってしまいます.ですから記憶の姿を探したくなる訳です.皆さんは,児童・生徒が学習したその内容や学習の過程が正しく記憶されているかを知りたくないですか.

【記憶と想起】

 さて,皆さんは,児童・生徒が呟くのを見たことがありますか.

 例えば,「あ~ぁ」,「あっ,そうか」など色々ありますが,授業中の色々なタイミングで児童・生徒が発する呟きです.その瞬間,児童・生徒は何かが腑に落ちたと考えられます.その時には,事象関連電位と呼ばれる脳波が出ます.主に記憶想起時に,この脳波が観測されます.私は授業の良し悪しを,児童の呟きの頻度で測ることが多いようです.現在は理科専科で毎日授業をしていますが,児童ができるだけ呟くような授業を目指しています.それは,実験・観察の時であったり,板書の時であったり,説明や解説などの時にできるだけ児童の中から声が漏れることを目指します.

 このような時,児童は記憶を想起していると考えられます.記憶していた事柄と言語や音声,映像などを見て「なるほど」と納得している可能性があります.

 アリストテレスは「memory and reminisence Aristotle」で,記憶するための能力は,感覚や知覚と述べています.また,感覚や知覚は,時間を認識するための能力の機能であるということも述べています.記憶するためには,時間を認識しなければならないということです.このことは,おそらくは,感覚や知覚で得られた事柄の因果関係やエピソードを認識するということであろうと考えられます.なぜなら,これらには,時間は重要な要素であるからです.何が過去で何がそれよりも未来(今となっては過去ですが)なのかが,因果関係では重要です.

 つまり,経験の前には記憶はなく,先ほどの児童の呟きは,片方で時間を遡り,その時の映像と,今この瞬間に感覚で捉えた現象を比較しているように感じるのです.このことが想起であり,記憶を新たに感覚や知覚されたイメージとして,思考の対象とすることができるのです.このことは,Baddeleyのワーキング・メモリのモデルとも親和すると考えています.

【学習における想起】

 学校現場で,学習した内容を記憶想起する場面は皆無です.単元の学習が済んだら,直後に行う評価テストなるもの以外で,学習した内容を想起させる場面はありません.一旦学習が終了すれば,その内容を想起する場面は,生涯無いことも十分に考えられます.

 記憶再生マップは,学習が終了した時点で一度でも描かせておくと,何か月も後になって,それを読むことにより,前回の「記憶再生マップの効果⑩」で紹介したビデオの児童のように発話して説明する学習行動をさせたり,学習内容を文章にまとめさせたりすることができます.記憶再生マップは言わば,「学習した内容を自身がどのように理解していたかをまとめたもの」と言うことができます.その中には,アリストテレスが言う時間が確かに存在します.ですから,後に自身の記憶再生マップを見ると疑問がわく場合があります.その時は,再び想起するチャンスですので,その時点で身に付けている知識や経験を利用して思考すれば,また新たな発見があるかも知れません.

【おわり】

 今回は,記憶再生マップの効果をお休みして,その名前の由来から「記憶想起」について,若干のコメントを書かせてもらいました.

 記憶再生マップの効果を検証した論文は,投稿した学会ではどうも十分に読んで理解頂けなかったようで、また3度目の返戻でした.まぁ,認知科学的な知見が多く書かれていますので,仕方ないと考えています.別の学会に投稿し直すのがいいのかもしれません。

 また,「記憶の再生について考えるブログ」をお読み頂き,児童のその他のマップや箇条書きなどをご覧になりたいと思われたら,遠慮なくお知らせください.個人情報に配慮した形で,今後の学校教育のためにという条件の下で,ご提供できると思います.

 ここまで長文でしたが,お読みいただきありがとうございました.